ひとつのシンギュラリティ点
シンギュラリティとは
AIなどのコンピュータテクノロジーが
人間の能力を超えて
人間よりも優秀なコンピュータが生まれてしまい
コンピュータが人間を支配したり
コンピュータが人間を攻撃して
人類の存亡を危ぶむのではないかと危惧されている
そのようなディストピアの世界をシンギュラリティといい
人類よりもコンピュータの方が賢くなり
人類の叡智を凌駕する瞬間をシンギュラリティ点という。
しかし、この頭の良さという概念というか尺度は
測り方が難しい。
何を持って、どちらが優秀か決めるのは
人間同士であっても、見極めるのは困難である。
人の頭の良さの尺度を測る方法としては
テストなどがあるが
コンピュータはインターネットを使えば
かなり多くのことはなんでもわかってしまう。
知識も記憶力もずば抜けて人間よりもすでに高いのである。
しかしまだシンギュラリティとは呼べない。
では、何を持ってシンギュラリティとするのかという
ひとつの基準は何なのかと考えてみた。
そのひとつの基準は、労働者の仕事ができるレベルではないだろうか。
今、年間出生数80万人の時代において、
労働人口の減少は深刻な問題である。
ところが、コンビニや物流システムなどは
人の労働者によって支えられていて
私たちの暮らしの多くはお金を支払うことで
便利に暮らせる世界になっている。
労働人口が減少することで、コンビニ、ショッピングモール
販売店の受付、営業、レジ打ち、運送配達、製品の陳列説明など
人が支えていて、しかもその労働によって
人の労働者としての価値である通貨の再分配が行われている
多くの場合働く時間によって時給で賃金が支払われており
時間労働によって賃金が配布されている。
シンギュラリティ点として定義するとするなら
この労働者の賃金と、同等のコストかそれ以下で
人間の労働者よりも優秀にこの労働をこなしてしまう機械が
現れた時。
それがひとつのシンギュラリティの定義になるのではないだろうか。
ある日、アシモやペッパー君などのアンドロイドロボットがリリースされ
ソニーからアイボ、ソフトバンクからラボット
家電メーカーからはお掃除ロボットなどがリリースされているが
まだ人間の労働者の能力を凌駕できていないため
シンギュラリティに至っていない。
Lv5の完全自動運転ができてしまうと、
タクシー、バスドライバー、トラックの運転手などの労働が
機械化されてしまう。
今までは人間に再分配されていた経済価値が
ロボットに置き換えられてしまう。
実際、テスラ自動車のAIの中枢メインCPUのチップは
NintendoスイッチのCPUと同じチップが使われていて
ブロックチェーンかピアツーピアのような
ローカルのネットワークによって
中央集権的なサーバー運営ではなく分散型の情報共有によって
個々の交通情報を処理して自動車の自動運転が運営されます。
自動運転は、ゲームのようなVR空間の中で何億回、何兆回という
シミュレーションで学習をして腕を磨き続けています。
何千台、何万台の自動運転の自動車が同時に動いて事故が起こらない。
そうなると、信号機や自動車保険が不要になってしまう可能性もあります。
このようにロボットの自動的なコントロールによって
人間の労働者の労働を機械が奪うことになってしまうと
労働による賃金の再分配がバランスを崩して
経済が混乱する危険性があって
これがひとつのシンギュラリティとして定義できる
ひとつの点になる可能性も感じています。