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宮崎茶房さんを訪問しました(和紅茶スタディ2021年2月)

TOKYO TEA BLENDERSのインタビューのため2021年2月に宮崎茶房さんを訪問しました。詳細はTOKYO TEA BLENDERSサイト内に近日掲載予定です。

今回の二泊三日の和紅茶スタディツアーで最も意外性があったのが宮崎茶房の宮崎さんだったように思います。

オンラインお茶会でも定期的に登壇されていて、画面に映っている時はいつもニコニコしてとても親しみやすい方です。何か、照れていらっしゃるのか、緊張していらっしゃるのか、いつもニコニコを崩しません。

なんと、実際に訪問して何気ない会話をしている時も常にニコニコしています!まさに柔和な茶人といった様相。この人柄がうみだす茶園のストーリーがそこにありました。

※笑顔というよりニコニコです。

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五ヶ瀬は九州発祥の地

岩永製茶園のある熊本県山都町や宮崎茶房のある五ヶ瀬は「九州の発祥の地」や「九州のへそ」と呼ばれるように、九州の真ん中にあります。

宮崎茶房があるあたりは標高600m程度で、東京近郊でいうと高尾山と同じくらい。インドのアッサムやスリランカのルフナよりは高く、インドのダージリン、スリランカのウバ、キャンディと同じくらいの標高となります。

そんな茶園の様子をドローンを使って空撮しました。岩永製茶園に続いて二回目のフライトです。よく整備された茶畑と工場の様子もご覧頂けるかと思います。

もともとは公務員志望!?

宮崎さんは公務員になるつもりだったそうですが、農業大学で農業にはまり家業の農家を継ぐことになったそうです。就農して5年ほど経った頃に正式にお父さんから引継ぎ、「好きにやっていいよ」と言われたそうです。

そこからは、それまであった酪農やお米の生産はやめてお茶作りに集中し始めます。周りの茶畑も借りるなどして耕作地を広げていきました。

日本がバブルに沸いた時代、お茶は作れば作るほど売れました。政府の支援もありまわりで茶農家さんや茶畑も増えていきました。そうこうしているうちに、バブルが崩壊し、しばらくすると生産量が増えたお茶の値段は下がり、なかなか売れない時代になっていきました。

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無農薬栽培が理解されない時代

宮崎さんはいち早く無農薬栽培に取り組んでいましたが、お茶の販売が落ち込むと同時に、真っ先に無農薬のお茶が売れなくなっていったそうです。

今では無農薬こそが付加価値ですが、当時は無農薬で栽培するのは変わり者で、品質が悪い印象すらあったのです。この頃から、宮崎さんはスーパーへの飛び込み営業や消費者へ直接販売する営業に取り組み始めます。

また、標高が高いということは春の訪れが遅くなりますので、一番茶の芽がでるのも遅くなります。お茶は一番茶が最も高く売れるのが常識とされていますので、五ヶ瀬で一番茶がとれる頃にはもう他のエリアの一番茶が出回っており、どうしても価格が下がってしまっています。

そこでお茶の一般的な価値基準にのらない、さらに付加価値の高いものをつくりたいという発想から紅茶作りが始まります。

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旅人が集う和紅茶の研究開発拠点

2000年前後から紅茶作りを始めた宮崎さんですが、先行して始めていた茶園の紅茶作りの様子をインターネットで調べるなどして手探りでつくっていたそうです。萎凋の時間の判断も難しく、まぁこんなものかとしか思っていなかったということです。

ここからが宮崎さんのお話で驚愕したところです。

宮崎さんのところには、日本のいたるところのお茶好きが旅人として集うようになっていたそうです。宮崎さんは、”旅人”としかおっしゃいませんが、彼らがどこからきて、どのような情報ルートで集まっているのかは全然関与されていないのだそうです。

そしてその旅人たちに、火のつけ方、まわし方、止め方を教えて自由に紅茶作りをさせたところ劇的に紅茶の品質が向上していったということです。

本当に狐につまされるかのような話ですが、それが今現代においても、現実に営まれており、日々、旅人たちが自由な発想であれとこれとをブレンドして研究に勤しんでいるそうなのです。

その中でもヒット商品が五ヶ瀬でとれるゆずやショウガを使った紅茶とのブレンドです。

夜の飲み会でお聞かせ頂きましたが、宮崎さんは、朝、従業員が機嫌よく働いているかを確認するのが日課で、旅人たちには宮崎さん独学の占いで役割分担の采配をしているのだそうです。爆笑してしまいました。

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肩の力を抜いて、若者たちの自由な発想を活かす、何か日本の新しい農業のかたちがここにあるように感じました。

品種王

先日のオンラインお茶会でも宮崎さんは他の生産者さんから「品種王」と呼ばれていましたが、既に20種類以上の品種を植えているところに2021年も新たに複数の品種を植えられるのだそうです。

農業試験場にも頻繁に顔をだして情報収集をし、いち早く品種をたしかめているのだそうです。試験場も発酵茶品種のさらなる品質向上に取り組んでいるのだそうで、宮崎さん曰く「これからますます美味しい品種がでてくる」とのことでした。

品種を開発するのも数年単位で時間がかかりますが、苗を植えて収穫できるようになるまでもさらに3-4年はかかります。どのような味のお茶ができるかわからない中で、これだけロングスパンの取り組みをするのは大変な意思決定の伴う投資だと思います。

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また、数年前にはカワサキ機工などの最新の製茶設備も導入されており、土日は休み、お茶の季節も夜はしっかり眠れるなど、農業の”はたらき方改革”も実現されています。

いつもニコニコしている宮崎さんですが、若者の意見に任せて実験はたくさんする、品種も率先して試してみる、しかし、生産は美味しさを維持しながらも効率化するという、新しい茶業の姿をみさせて頂いたように思います。

茶園の歴史など詳細はTOKYO TEA BLENDERSのサイトに今後まとめます。

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