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ひのはら紅茶の戸田雅子さんにインタビューしました

追記:TOKYO TEA BLENDERSのサイトにて詳細を記しました。是非ご覧ください。「TEA FOLKS2 ひのはら紅茶 戸田雅子さん(檜原雅子代表)のご紹介」

追記:戸田雅子さんは2021年5月26日に逝去されました。謹んでご冥福をお祈り致します。戸田さんとの思い出を振り返りました。「【追悼】ひのはら紅茶 戸田雅子さんを偲んで」


2021年1月30日(日)13時より檜原村でひのはら紅茶の戸田雅子さんにインタビューをさせて頂きました。2020年11月にオンライン開催された地紅茶サミットの現地手伝いで檜原村に行って以来の2ヵ月ぶりの訪問です。

本当は1週間前の23日に訪問する予定でしたが、日本各地が大雪に見舞われる予報がでていました。その日は東京23区内は小雨で終わったのですが、檜原村は雪に覆われて延期になっていたのです。

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先日の村松二六さんへのインタビューは完全オンラインでしたが、今回は檜原村での打ち合わせもあったため、私が現地でインタビューをしつつ、同時に大学生の皆さんにもウェブ会議システムで繋ぎました。

もっともっと若年層に和紅茶のことを知ってもらいたいので、大学の紅茶サークルの皆さんに直接生産者さんにインタビューしてもらっています。

今回は東京大学の紅茶同好会KUREHAと駒澤大学紅茶文化研究会の2グループに参加してもらいました。

ひのはら紅茶ができるまで

全国地紅茶サミット世話人会が監修した『ニッポンの地あ紅茶<完全ガイド>』の冒頭にひのはら紅茶がカラー特集で登場します。

2020年の地紅茶サミットは、コロナがなければ全国から紅茶好きが檜原村に集まる予定でした。

東京都内の茶園で紅茶をつくっているらしいと有名になった檜原村ですが、実は茶園としては10年も経っていない新興の茶園なのです。

元高校教師の戸田さんのキャラクターに皆が引き寄せられて、テレビの取材も入り、一気にメジャーな地紅茶になりました。

そんなひのはら紅茶ですが、その成長は4つのフェーズで進展します。

1.裏山に茶畑を発見

もともと東京23区内の高校の先生だった戸田雅子さんが子育てをしている中で、都会だけでの暮らしに課題感を持つようになったことからお話がスタートします。

戸田さんは教師という公職にある身で、都内から離れる時には届け出も必要でした。だったら、同じ都内にある檜原村であれば気軽に自然のある生活を楽しめるじゃないかと、家族で通うようになります。

いよいよ檜原村に魅せられて晴耕雨読の生活にあこがれた戸田さんは、都心で定時制高校の教師のお仕事を担いながら、本格的に檜原村に移住します。

檜原村から五日市駅に行き、都心の学校まで通勤されていたというのですから驚きです。

そんなある日、住居の裏にある藪にイノシシが逃げ込んだということからちょっとした騒動になります。今後のトラブルを回避するためにも藪を整備したところ、藪の中からでてきたのが茶畑だったのです。

裏山から茶畑がでてきたわけですが、戸田さんはせっかくなのでご近所さんにお手伝いしてもらいながら茶摘みを始めてみることにしました。

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2.紅茶づくりの開始

初めは摘んだ茶葉を急いで数十キロ先にある製茶工場に持って行っていたのですが、どうもこれだと慌ただしすぎて毎年は続かないと考えました。

そこで、紅茶には萎凋(最初にしおれさせる)の期間があるので摘んでからちょっとはゆっくりできるのではないかと考えついたのが紅茶づくりの始まりでした。

全国地紅茶サミットに参加したり、いろいろ情報収集を続けているうちに、静岡に紅茶作りの名人がいらっしゃると聞き、その方が丸子紅茶の村松二六さんでした。

誰に対してもオープンな村松さんは「茶葉を持ってきたら紅茶にしてあげるよ」とおっしゃいます。

戸田さんは朝摘んだ茶葉を車に詰め込んで、萎凋させるため窓を少しあけているので高速道路をできるだけ避けながら、一目散に村松さんのところへ。

もともとは紅茶作りを村松さんにお願いしたつもりでしたが、親切な村松さんはそのうち、「わざわざ静岡まで来るのも大変でしょう」と、紅茶をつくるための製造機などの購入を斡旋しはじめます。

こうして戸田さんは村松さんのお弟子さんのように紅茶作りを学びながら、檜原村での紅茶作りに取り組むようになるのです。

3.檜原雅子開墾団の結成

ひのはら紅茶の強みは、檜原村で忘れられた茶畑を次から次へと掘り起こして、無農薬、無肥料で育てていることです。実情は、戸田さん曰く「そんな農薬やら肥料やら手間をかけている余裕が無いのよ」とのこと。

忘れられた茶畑は在来種ですが、いつの時代か、ご先祖様が茶の木を植えて、風雪に耐え、無肥料でも養分をためて、しっかりと代々、自然と生き残ってきたものです。その土地に一番適合した茶の木とも言えます。

戸田さんのパワーに引き寄せられるように、檜原雅子開墾団というボランティアチームが結成されます。東京近郊からボランティアが集まって、茶畑の掘り起しや手入れを手伝うようになっていきます。

テレビなどでも取り上げられるようになり、都内で茶摘み体験ができる魅力的なスポットとして知名度が高まり始めます。

4.全国地紅茶サミットの開催

戸田さんは、東京オリンピックが開催される2020年、そして檜原紅茶の10周年も記念して、全国地紅茶サミットの開催地として立候補します。

全国地紅茶サミットは20回近くの開催実績があり、毎年持ち回りで日本各地で開催されますが、年々人気が高まり、数千人が訪れる日本最大の地紅茶イベントとなっています。

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私自身も松山の地紅茶サミットを訪問してその盛況ぶりに驚きました。商店街に所狭しと生産者さんが並び、たくさんのお客さんがきていました。

しかし、檜原村はいくら都内とはいえ、最寄りの五日市駅からも車で30分近くかかります。数千人のイベントをどうやって・・・。

戸田さんは檜原村の各地に分散させて開催する構想を練っていたようですが、結局、コロナの影響で開催が危ぶまれる事態になってしまいます。

私自身も楽しみにしていた檜原村の地紅茶サミットでしたが、ある日突然、「オンライン開催します!」と告知がでていました。戸田さんは最後まであきらめずに最新のオンライン会議システムを使って地紅茶サミットにこぎつけたのです。

(私は会社でやっている自分の事業でそのオンライン会議システムを使っていたことがあったので、お手伝いに名乗りをあげました。)

戸田さん曰く「ほんとに檜原村で開催するんだったら、色々手配しないといけなくて大変だったから、かえってオンラインになってよかったのよ」とのこと。

オンライン開催で集まった全国の生産者さんとお茶好きを繋ぐコミュニティは今でも続いており、定期開催されるオンラインお茶会へと繋がっているのです。

以上、インタビュー概要でした!

戸田さんのパワーで集まったメンバーは、オンライン地紅茶サミットを乗り越えて、まだまだ色々と企画しています。これからのひのはら紅茶が楽しみです。

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