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ダイアログ・イン・ザ・ダーク「内なる美、ととのう暗闇。」体験記

今から数年前に、友だちが
「行ってみたら見える世界が変わるよ!」
とかなんとか言ってくれて、すごい熱量で勧められていたのが「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」だった。
しかし、暗闇の中で見ず知らずの人とコミュニケーションを取るのだということに怯み、躊躇していたところ、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の常設展が幕を閉じてしまったのだ。

残念。
行きたかったのにな……。

そう言いながら、ちょっとホッとしている自分もいた。
けれども、ちょっと変わった体験ができるチャンスを見す見す逃してしまったような気もして、もったいない気持ちも少しあった。

そんな中、先月、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が再開されたと知った。
これは……やはり、行ってみた方がいいよね?

最近、ヒプノセラピーを通して、自己探求を深めてきた私には、思考ではなく、体の感覚、五感を研ぎ澄ましたい欲求が湧き上がっていて、今、正に、行ってみたいという気持ちになっていた。

スケジュールを見て、もしも近々で予約ができる枠があったら申し込もう。
それはきっと必然だ。
そう思って恐る恐るHPの【チケット購入・空席案内】をクリックすると、希望する日に空席があった。
ほんの数秒だけ迷って、怖れを跳ね除けてクリックした。
クレジットカード決済までいって、ああ、本当に申し込んでしまった! と思ったら、また怖れが現れるのと同時に、よくやった! という言葉も自分の中で聞こえた気がした。
あとは、この日、私も、息子も元気でありますように、と祈るばかり。

ここ数日、何かと忙しく、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」のことを考える時間はあまりなかった。
昨夜、「いよいよ明日なんだ!」と思い、時間と行き方をチェックした。
リラックスできる服装が良いと案内に書いてあったことを思い出し、いつもの部屋着を持っていくことにした。

今朝、起きて、行く前に家族に話すか迷った。
うまく説明できないから行ってから話そうと決めて、旦那には話さなかった。
息子には、帰りの時間が小5の息子よりも遅くなるので、ざっくりと予定を話した。
「暗闇で自分と向き合うワークをしてくるんだ。目以外の感覚でいろんな感覚が研ぎ澄まされるらしいよ」
私がそう言うと、息子は
「へー。どんなんだったか、また聞かせて」
と言った。

予定の時間に電車に乗った。
電車の中で異常に緊張してきた。

なぜ申し込んでしまったのだろう?
私は何のために行くのだろう?

不安から、行く目的までも見失ってしまった。
だけど、行かないと後悔すると思ったから、そのまま向かうことにした。

国立競技場のすぐ側に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の会場はあった。
建物の2階に上がると受付が見えた。

受付のスタッフの方が「お待ちしていました」と笑顔で応対してくれたのでホッとした。

少しの時間待つように言われて、ロビーに居た。
私が一番最後の到着だったようで、既に3人の参加者の方がロビーにいらしたのだけど、始まる前に話しかけた方がいいのかどうかプログラムの仕組みがわからず、
「こんにちは」
と、笑顔で交わすくらいにしておいた。

初対面の方と打ち解けるのはそれほど苦手ではないのだけど、それには、最初に話しかけて、ある程度自分が居心地の良い空間を意図的に作っているからだと感じた。
禁止されたわけではないのだけれど、それができないこの状況は私にとってちょっと苦しい時間だった。

開始時刻5分前に、本日一緒に体験する私を入れて4人が集められた。
HPでは最高で8人までとなっていたので、今回は少なめなのだと知った。
多い方がいいのか、少ない方がいいのかもよくわからなかったのであまり考えないようにした。

鍵付きの個室の更衣室の鍵を渡されて、そこでリラックスできる服装に着替えた。
荷物も全部置いた。
靴下も脱いで裸足になった。

最初に案内された部屋には、これからのことを案内をしてくれる方がいらして、鍵やメガネを預かってもらった。

そして、暗闇をアテンドをしてくださるスタッフの方が現れた。

白杖を渡されたあと、部屋の明かりが落とされて真っ暗になった。
そして、それぞれ自己紹介、具体的には、今日、呼ばれたいニックネームを伝え合った。
真っ暗な中で、声を聞くと、さっきまで待合室で何も話さずに一緒にいた距離感よりも不思議とずっと近くに感じた。

アテンドの方の案内で、順番に扉の向こうに入っていった……。

ここからの細かいことについては、これから「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験される方にとっては、ネタバレのような状況になってしまうといけないので、控えておく。

しかし、その中で、どんなことを感じたのかについて、少し書き記しておきたいと思う。

暗闇の中には、砂利道や石畳、林などがあった。
水の音を聞いたり、小鳥のさえずりを聞いたり、暗い中でも、いや、暗いからこそ、視覚以外の情報を懸命に取ろうとしている自分を感じた。

暗闇はとても不安だったのだけど、一緒に体験する仲間が声掛けをしてくれたり、自分に対する声掛けでなくても、話している声を聞くだけで安心できた。
また、少しみんなと離れてしまったと感じた時に、「みんなどこにいますか?」とたずねると、「ここだよ」と声を発してくれたり、私の声のする方に手を差し伸べてくれたりして、本当にその優しさが身に沁みた。

面白かったのは、私のように、どちらかというと、じっとしてなるべく動かないようにする者もいれば、真っ暗にもかかわらず、白杖を頼りにあちこち歩き回る人もいたことだ。
本当に人は一人ひとり全然違う。

一緒に水に触れたり、お湯に触れたり、ヒノキの木目を感じたり、非日常的な時間空間を今日会ったばかりのメンバーと温かな気持ちで共有できたことに感動と感謝の気持ちでいっぱいになった。

ただ、ひとつ、残念なことがあった。
それは、自分自身と向き合う時間のことだ。

スタッフの方の演出というか配慮で、そういった、いわゆる瞑想ができる空間だったのに、「何も考えないということ」や「体の感覚を感じること」あるいは「周りの音や匂いを感じること」ができずに、どうしてもいろいろと考えてしまった。
もともと思考優位なところがここでも出てしまったのだ。

最後の振り返りの時に、一緒に体験した仲間たちから、それらができたようだと聞いた時に、少し落ち込んだ。
しかし、それをアンケートに書いて帰ろうとしたら、スタッフの方に感想を聞かれたので、そのようなことを伝えたら、その方も元々思考優位だったとお話をしてくれて、安心した。

このように五感を研ぎ澄ますのに打ってつけの場所にもかかわらず、思考が優位になっていたので、それは自分の思考の頑固さに苦笑いするしかないけれど、だからこそ、日々の生活の中で、意図的に、感覚や感情と向き合う時間を取る必要があるのではないか、そうすることで、より快適に過ごせるのではないかと思った。

それにもうひとつ、感じたことがあった。
それは、母のことだった。
母は緑内障が悪化して、だいぶ視野が狭まってきて、併発している白内障の影響で視力も落ちてきている。
それでも、頑張って暮らしているのだけど、いまいち、「見えない」「見えづらい」ということがわからないというか、感覚としてつかめていなかった。
けれども、今日、全く何も見られないということを体験し、暗闇の中では、声を聞くことや手や体のぬくもりを感じることで安心できることがわかったので、たまに電話をしたり、会った時は手を握ったりハグしたりしようと思ったのだ。

また、先日、子育てハッピーアドバイザーとして、「子どもが自己肯定感を高めるために大人が何をしたら良いのか?」という時に「スキンシップが大事」と話をした。
ハグしたり、手を握ったりすると、自分が大事にされていると感じることができるから、というのだが、それは、子どもに限らず、大人だって同じだと思う。

そんなことを感じた。

もっと五感を研ぎ澄ますことができたら……と思うけれど、今の私なりの体験ができたのだ。
これでいいのだ、と思うことにする。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」のスタッフのみなさんと今日一緒に暗闇のワークを体験してくれた一期一会の仲間たちに改めて感謝したい。
ありがとうございました!!

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