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戯言_vol.127

Twitterを始めて丁度5年。
殆ど競馬関連の事を発信して来ました。
その後すぐにnoteを開始。時が経つのは本当に早いものだと感じました。

色んな出会いがありましたね。
色んな人が居ました。
どちらも競馬の事しか発信して無いため、接点を持つ人はみんな競馬好きの人達。

競馬に対する自分の感覚。
これを文字として発信する事を、自分は楽しいと思っています。もちろんその内容全てが万人に受け入れられるかどうかは別にして、それでも『自分はこう思う、こう感じる』と言う気持ちを可能な限りnoteやTwitterにて発信し続けました。

色んな人が居ましたね。
何かを発信すると言うことは時に物議を醸し出す事もある。
物事の捉え方を光のあたる方向から見る人も居ればその真逆の方向から待てる人もいるからでしょうね。

見てるものは同じ。
しかし見る角度によってはまるで別の物にも見える。朝通る道と夜通る道、これは全く同じ道で有りながらもその印象は違う。

例えば皆さんが通勤する道が有ると思いますが、朝の帰りの風景を思い出して欲しい。
朝は家から会社へ、帰りは会社から家へとその風景を想像してみて下さい。

そしてまた今度は逆に。
そのいつもの痛感ルートを時間帯を変えて想像してみる。朝は書き者から家に、夕刻は家から会社へと。

これは理論上同じルートを時間帯を変えただけなので、人によっては何の違和感も無い方もいるかも知れません。しかし現実問題それはこうすればこうなる『ばず』と言う移動の行為を想像しただけで有って、本来この真逆のシュチュエーションを実体験した人は少ない。

何が言いたいかと言いますと。
実際に通勤で使用するいつもの道、これを朝一で進む方向が真逆だと色んなものが違って見える。
例えば交通量の多さもそうですが細かい事を言うなら太陽の見え方も変わる為いつもなら使わないサングラスも必要になったり。

実際にこれを実体験する機会が無い人が多い。夜勤などの経験がある人しかこの意味合いは真の意味で想像出来ない。
実際に見える景色はいつもみる景色なのですが、進む方向が逆になったのを実体験した時に、初めて感じる『違和感』に気づくのです。

未体験の景色。
時刻が変われば見え方が大きく変わる。
朝はこう、夕方はこう、と言った頭の中の常識がここで大きく変わる。

『あれ?何だろうこの違和感』

同じ道のはずなのに。
毎日往復もしてるのに。
その道は違って見える。

自分の考えていたものは自分の目で見た全て以上をなかなか超えない。各位の脳内に焼き付いた風景と言う情報は『朝ならこの方向』であり『夕方ならこの方向』になって強く脳裏に焼き付いているからです。

冒頭でも話した事。
色んな人がいますって話ですがね。
同じ物を見ながらそれについて話をしても、話が全く噛み合わない人も居る。どちらも言っていることは正しいのかも知れませんが、いつまで経っても話が噛み合わない事もあるんですよね。

同じ人間はこの世に二人と居ない。
だからこそ全く別の考えが有っていい。
見てるものは同じで確かにその同一の事に関して話してるはずなのですが、それを見つめる角度によっては『別物』に見えるんだろうと。

これはきっと競馬でも全く同じ。
同じ馬を見つめたとしても、その馬のどの部分を見るのかによっては評価の内容はまるで違ったりもする訳で、それがオッズとなり競馬として成立するのでしょう。

強い馬が勝つと言う理念。
オーソドックスに言うとこれは誰の頭の中にも有る言葉。しかし全てそうならない理由も並べれば無限に有るのも事実であり、そこには馬場適正だったり距離適正だったり、またはスタートで大きく遅れたり、ジョッキーのコース取りや仕掛けのタイミングが上手く噛み合わなかったりと、無限なまでに存在する。

見つめる方向。
見る角度が違えば同一のものであっても『別物』として見える事もある。
こらがまた競馬の面白い所で有り、難しい所でも有る。無限大に存在するファクターのどこがどう一番影響したのか、最後問題はその一点に集約される事になる。

どこまでが計算出来て、どこまでが偶然か。

この『計算』と『偶然』のバランスは人によって大きくジャッジが変わる。想定として考えられる事と、そうで無いものの捉え方。これは本当に人それぞれ千差万別と言って良い。

しかしとある角度からそれを見ると『計算可能』な世界もある。もちろん絶対などあり得ないがかなりの確率でこうなるだろうとレース前に感じ取れる事も少なく無い。

物の見方など各位の自由。
誰もここに異論など一切無いはず。
しかし常に自分だけの世界観で競馬を見つめて居ると、大きな落とし穴も有る。

あなたの目の前にあるそのレース。
そして自信の◎を打ったその馬。
出来る限りいろんな角度からその鞍を分析する事を自分はお勧めしたい。

自分が一番重要と感じる事。
『その鞍に最も影響するファクターの選定』
これだろうと考えてます。

もしかしたら展開かもしれないし、根本の馬の能力かもしれない。またはコースや馬場への適正かもしれないし、馬の状態かもしれません。
しかし無限に有る予想ファクターの中、この鞍で有れば『この鞍には今回このファクターが最も効くはず!』と言う部分を見抜く事、ここが本当に大切なんだと自分は考えます。

強烈な要素。
無限に有るファクターの中で、どの武器を選定すべきなのか。結局はここを間違えれば馬券としては成立しない事が殆ど。
見る角度から変われば連軸の取り方含め、相手候補も大きく変化するかもしれません。

結局自分の繰り返しやってること。
それはこの『今回どの武器が有効か?』の見極めなんだと痛感してます。

いろんな角度から競馬を見る事。
ここに関しては永遠のテーマでもあります。
見る角度を変える事、変えて見つめてみる事。
同じ道であっても時間帯によっては風景が変わる。
別物に感じる事も多いはず。

多くの角度から見れたら。
きっと世界は変わるはず。
いつものルーティンだけでは、いつもの結果になるのは誰しもが感じる事のはず。

今現在この長々とした文章、しかも何も次週の競馬に直結する事ないこの文をここまで熟読された方にはきっと伝わる重要な情報と自負しております。

その目の前にあるレース。
それがあなたにとって1なのか10なのか100なのか。そこしっかり見極める勇気です。
全部が1として競馬を楽しみたい方で有れば、それはそれで良しと思います。

しかし100と感じる鞍に1を賭けて小さなリターンで本当に満足できるのか。
自分には逆に勿体無くてできません。

当たり前な事を言います。
100は1の100倍の価値があります。価値が有ると踏んだ所を1の投資で当たるほど悔しいものは無いんです。

自分にとってもなかなか100の価値が有る鞍は出てきません。もちろん100と感じる鞍が出てきたとしても、それを全て的中させる事もできません。
ただ1や10の認識とは別の感覚を覚える鞍は年間に幾つか出てくるのは事実で、そこをしっかり取る事により生きてると言って良いです。

楽しく競馬をやりたい方。
そうで有ればそれはそれで良いんです。
年間なるべく少ない額で大ケガする事なくやれるのが幸せなのかもしれません。

しかし自分は少しだけ違ってて。
そこに全てを託し生きています。
1や10の鞍で生活は出来無いのが現状で、仮に10と感じる鞍だけをそれなりの金額でやったとしても良いところトントンか。これは根底にある分母が大きいのでなんとも言えませんが、10レベルと感じる鞍で生活できるまでに的中率を上げられるとは思っておりません。

100の鞍を出来る限り高確率で取る事。
ここに集中して生きてると思ってます。
それでもこの100を全て取り切ることは出来ない。
しかしいかにここを取り切るか、ここが自分の生きる道なのです。

ハイリスクではありますね。
なかなかこの領域に皆さんどうぞお越しくださいとは推奨出来ません。
ただ1とか10の世界でどう足掻いても、長い目でそれで生活できる事は無いと思ってますし、実際そうでしたね。

100の鞍は年に何本も存在はしない。
これが事実だし現実だと思います。
問題は『これは100の鞍』と感じ取れるだけの強烈な物を感じ取れるかどうか、そこだけなんです。

馬券に直結する事のないこんな長い文。
最後まで読む人は20%も居ないのもわかった上で書いてます。これが世の中の現状だと色んな意味で把握しても居ます。

競馬好きだけで終わらせるのか。
この世界で生き残りを真剣に考えるのか。
勝てる人はほんの5%と言う事実、普通にやってたら95%が負けていく世界です。

100の鞍を待てるか。
100と感じ取れるだけの競馬力を付けられるか。
そしてその時にその度胸が有るか。
長い事競馬を見てきて、また多くのプロ馬券師との交流を経て。たどり着いたのはこの一点。

『覆さないほど強烈なもの』

ここを感じ取れるか、否か。
これだけだと思います。

それでも全部は取り切れない。
それも痛いほど知ってます、味わってます。
紙一重の世界ですが、このギリギリの世界で生きてるとは思ってます。

ある程度の運用資金は必要。
残念ながら小銭でどうにか出来る世界じゃない。
しかし限りなく絶対の領域を本能で捉え、そこにズドンするしか道は無いのは明確です。

リスクなかチャンスなのか。
この領域をチャンスと見れる人は2種類。
本物か、ただ度胸の良い人間。
ただの度胸が良い人は、時間の問題で消える。
それだけだと思います。

我が師に教わったもの。
競馬は何一つ教わってません。
しかし生きた見本を何度も目の前で見てきて感じたのは『馬券力の差』でした。

限りなく絶対領域を探せる事。
ここなんだと思いました。
この生きた教材に馬券の世界をまざまざと見せてもらう事が出来たのが自分の最大の財産かもしれません。

あらゆる角度から競馬を見つめると。
いくつものリンクが見える時が有ります。
強烈に感じるものが3つも4つも重なる事が有る。
そしてそれと同時に『この人気馬は明らかに消し』が重なると馬券はハネます。妙味が相当高くなります。

なかなかこんなの無い。
これも事実。

しかし確実にわかる事。
世の中で存在する90%の鞍は元来サイコロ戦。
そりゃ1か10までで楽しむしかない、自分もそう思ってます。何故なら元々ドングリ鞍だから。

100の鞍の認識。
この先もずっとこれとの闘い。
そう思ってます。

見る角度を変えて。
今まででは見えない物を見つめる事。
使える武器は全て使い。
強烈な光を見つけるだけ。

それだけです。

それてまはまた。

サラリーマン馬券師の武田優駿。 ラップ分析を基本としてハイレベルのレースで好走した馬を皆さんに伝える事を宿命と考えています。人気薄馬の激走を見抜く事に全身全霊で挑戦しています。