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家族のこと『娘』 (noteでおしゃべり)

・SAKAMO と ばたち で同じテーマについて話す『noteでおしゃべり』
・『弱い(全5回)』『好き(全5回)』『家族(全5回)』『仕事(全5回)』
・4つのテーマで全20回でお届けするシリーズとなっています。
・よろしければ、それぞれのnoteを覗きにきてくださいね。

今年22歳、大学4年生になった娘がいる。
娘の存在があることで、私は親にならせてもらった。

小さい頃から娘の、人としてのスゴさを感じてきた。
親バカなのかもしれないが、そのまま言わせてもらおうと思う。

娘は、小学生の時バレーボールをやっていた。
今思うと、私が昔やっていたから自然と娘にもバレーをやるように促したようにも感じる。本当に娘がしたかったのかは未だ分からない。

小学校の間は、3年〜卒業までバレーを続けた。副キャプテンだった。
娘が卒業する時、バレーの顧問の先生が、卒業する児童に一人一人メッセージを贈ってくださった。

先生が娘に贈ったメッセージ
『おまえがいなかったら、俺はバレーの顧問をやり続けることができなかった。お前のおかげで顧問をやり続けることができた。もし、俺が会社の社長になることがあったらおまえと絶対働きたい。本当にありがとう。』

保護者として聞いている私は驚いた。
子どもを褒めるとかいうレベルじゃなくて、娘は人間として先生に認められたんだと感じた。
私の知らないところで、娘はどんなことをやっていたんだろう。
娘の人間性を初めて客観的に知ることができた出来事だった。


中学に入った娘は、体調を崩した。
今ではよく耳にする病気だが、その当時はまだ世間での認知が少なかった。

娘は起立性調節障害という病気になった。
中学1年の冬から、朝起きられなくなった。
頭痛、腹痛、めまい、倦怠感など、あらゆる症状が出た。

この病気は、午後になるとケロッと元気になるから、周りの人から見ると仮病か精神的な理由の不登校を疑われたりした。
娘の周りは私も含め、誰もこの病気を知らなかったから、娘はありとあらゆる言葉を投げかけられた。

「学校はちゃんと行くもんだ。」「気持ちの問題だ。」「誰かにいじめられてるの?。」「お母さんが働きに行ってそばにいないから寂しいの?」「何か気に入らないことあるの」「悩んでることあるの?」…周りの大人は寄ってたかって、娘に、自分の心配や価値観をぶつけた。

その大人の中に、私も入っていた。
娘を助けたい気持ちでいっぱいだったのだけれど、娘を追い込んでしまったのではないかと思う発言も自覚なく発していた思う。

症状が続いて3ヶ月が経った頃、娘の顔に気力が見られなくなった。
人生を諦めているかのような、寂しい顔をしていた。

私はいても経ってもいられなくなって、娘に全てを吐き出してもらおうと言葉で挑発した。

娘の抱えているもの、私への不満や怒り。
全てを私にぶつけてもらおうとした。私にぶつけて当たって少しでも娘の心を軽くしたかった。

周りの大人が「こうなったのは母親である、あなたのせいだ」と私を責めたように、娘からも責められたかった。
責められることでしか娘の心に寄り添える方法が思いつかなかった。

「言いたいこと全部いいんさい。お母さんに不満や腹立ってることあるでしょ!」と私は言った。

少しだけ沈黙があって、その後に娘が口をひらいた。

「私が本当に学校に行きたいのに行けないって言ってることを、お母さんがちゃんと信じてくれていることを私は分かっている。そんなお母さんに今いろんな気持ちをぶつけたって何も解決しない問題だと思ってる。だから、私は何も言わない。」

娘をスゴイと思った。自分が辛くなると周りにあたる大人はいっぱいいるのに、この娘は中学生でこんなことができるんだと、娘を尊敬した。

その後、病名が分かり、娘の症状は成長期が終わるとともに治っていった。

娘のエピソードはあと何個も書けそうだけど、ここくらいにしておこう。
このnoteを泣きながら書くことになるとは想像してなかった。

大阪にいる娘に会いたくなったな。
娘、愛しているよ。
そして、あなたのことを心から尊敬しています。
私を母親にしてくれて、ありがとう。

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