コロナ禍は一生終わらない
初任の頃の卒業生が学校に遊びに来た。当時は中学2年生の担任だったので部活動で関わった生徒たち。関わったといってもコロナ元年で本当に1カ月ちょっとしか一緒にサッカーをすることができなかった世代だけど。
「校長が泣いて謝罪したの今での覚えてるし許せないです。」
最後の中体連の大会は開かれることはなく交流戦でお茶を濁され、体育祭も合唱祭も満足に行えず、修学旅行にもいけなかった。
「修学旅行が中止になったとき、校長泣いてたんですよ。まじふざけんなよと思ったっすよ。自分で中止にしたくせに。」
大人として修学旅行を中止にした判断はいきすぎたものだとは思わないし、当時の情勢を考えると非常に打倒な判断だったと思う。けど中止にした側の大人として、この言葉は重い。
コロナ禍も収束し、日常が戻ってきた。学校もほぼコロナ禍前に戻りつつある。そんな日々だから忘れそうになるけれど、何もさせてもらえなかった。あのときの中学3年生がいることはちゃんと覚えておきたい。
大人が悪いわけではないけれど、あのときの理不尽をあの世代は納得できたわけじゃない。どうにもできなかっただけ。なんで自分たちだけと思い続けるだろう。
青春の全てとまでは言わないけれど、大部分を取り上げたことを僕たち大人は、彼らの叫びを聞き続けなきゃいけない。決断したことに責任を持つということはこういうことだと思う。
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