ほかでもないわたしじゃん!
男をたてて
自らを引き立て役に徹することが美しいことと
一昔前では言われました
とても理不尽な洗脳です
祖母→母→わたしまでこのように言われてきたのですが、
これって自分を抑圧するってこと、、にほかならない
少なからず、今もやっている自分の在り方にハッキリと気づいてしまいました
深く内観していったところ
違う目で見ると、
それはチョコレートのようなものだった
食べると甘くてなにかが満たされて、
媚薬のようにクセになり快楽を感じるエネルギー、
そしてねっとりとして簡単には外せないものだった
仕事で、男性と関わるときに無意識に
自らを抑圧してしまうクセがあった
それも自然に、踏み台にされることで
報われるって思っているのです
バカだなーって自分で自分にいいました
男にとって得になることをすることで
評価が高くなり、重宝されるとか
結局のところ自分に
何かしらのリターンがあるはずだからと期待してるんです
この意識を設定してるのは、
ほかでもないわたしであって、
このねっとりした在り方を選んでいたのは
わたし自身でした(^^;
つまり、
男性に甘いチョコレートを与えて
快楽を植え付けてしまっていました
自分にとっては、
そのやり取りそのものがチョコレートを食べたような快楽になっていたのです
最近、男性との会話のなかで
なぜ抑圧されるような気持ちがするのだろうか
考えていました
その人はこう言いました
『女性は面倒をみてあげる仕方のない存在だ』
その人の意識レベルが一発で判明した瞬間だったし
同時に、私がこの人に言わせてしまった
もっとも受け入れたくない見たくない部分だった
だって、抑圧されたくないけど面倒見てくれたら最高だと思うところあるし
だけど
モラルって言葉だけでは片付かない、
日本人男性の意識の低さが露呈しているし
日本人女性のあきらめ感を一気に
エネルギーで受け取ってしまった感覚がしました
子育てしていたら収入は男性と対等に得られないだろうし、
そもそも
女性の身体は、子供を産むことができる機能があり男性にはない
男性にしかない力強さという機能を
女性はよく理解し知っていますが
男性は女性の機能を理解していない方が多い
違う生き物であって、
構造を理解しながら対等であるべきなのになと
感じています
海外では対等な意識の国があると聞くけれど
ひとり気付くと電波が広がるようなもので
今の在り方をみな各々の中で取り上げて
深く在り方を内観していけたらいいなと
おもいます。
私たちは、
ひとりひとりが
祝福され神聖で高貴な
存在です
自らが主人公
自分に力を取り戻して
地上天国を生きることを
選べます
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