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なすべくして

少し前にも書いたのだけど、私は女性だという理由で男性がしなくてよいことになっていることをするのがつらい。
今はそのことを明確に意識しており、以前はやってるときは無意識にやっていても、後からモヤモヤしていた。

コロナ後の2020年初春のことを女性3人の往復書簡で描いたエッセイを読んでいて、
そのなかの1人が5月の連休中、自身は在宅で仕事をしており、夫は会社員で休み。毎日朝ごはんを食べながら「昼ごはんどうしようかな」、昼ごはんを食べながら「晩ごはんどうしようかな」、晩ごはんを食べながら「明日の朝ごはんはどうしようかな」と言われ、しんどかったと。夫は自分でなんとかせず、妻も「自分でやって」と言えなかったと。言ったらよかったかなと。

私はこれは耐えられない。
なんで?なんで妻がせなあかんの?いい大人なんだから買ってくるなりなんなりしましょうよ。と思った。

でも、多分、こういう方が多いのだろう。

よしながふみさんの作品が好きで、「仕事でも、仕事じゃなくても」の中に、
夫に遠慮しながら依存しながら生活するのは嫌だというようなことが書いてあり、
自分ひとりで社会を変えることはできないが、自分がこうありたいという生き方をすることはでき、それしかできない。その姿を見て、これもありなんだと思う人がいればいい。
というようなことも書いてあり。

あ、これだと。
今の私は誰にも遠慮なく、自分の好きな生活をしている。
それができるバックグラウンドを持っている。
それはなすべくしてなのだけど、
なすべくして、自分がなりたかった自分になっている。
そのために得ることができないものは当然あるけれど、それよりも私は誰かに遠慮したり、抑えつけられたりすることから距離を置きたい。

沼に好きなだけはまれるしあわせもそこから生まれる。