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新国立劇場バレエ団「白鳥の湖」

先月新国立劇場バレエ団プリンシパルお二人の舞台を観に行った時にも感じたのだけど、同じ時代に生きていてよかった。この人の舞台を観られてよかったと感じる舞台にまた出会いました。

「白鳥の湖」はバレエ演目の中で大好きなもの。
いくつかのバレエ団の作品をこれまで観ています。が、一番好きなのはマシュー・ボーンの「SWAN LAKE」なのです。音楽を聴いて浮かぶのは「SWAN LAKE」のシーン。それはさておき。

小野絢子さんと奥村康祐さんのペア。

今回上演のピーター・ライト版は王の葬列から始まるとのことで、その設定がハムレットを思わせるとも読みました。
知らなかったら、列の中に王子がいるのもわからず、何々?になっていたことでしょう...

奥村王子は見た目繊細でナイーブで。
表情を注視しておりました。
クルティザンヌの顎をクイッと持ち上げるシーンに萌え、
ベンノとクルティザンヌと4人で踊った後に、もういいよ、向こう行け、という仕草には、君たちとは違うんだ、君たちにはわからない、というような
空虚な満たされていない感が伝わりました。

絢子姫はまるで重力がないようで。
腕が羽でした。まったく重力を感じない。腕が語る。腕が伸びる。

白鳥たちの群舞が素晴らしく。
うねうねと形が変わっていくのが水の波紋のようで知らぬ間に違う形になっている。4列から逆三角への動きは圧巻。

オディールは私にはあっけらかんと感じられました。そこに悪の意識は全くない。何も悪いことはしていない。裏がない。だからこその悪。
笑顔が明るくて、邪知が感じられなくて、だからこそ。
黒いものが一切感じられないのだもの、王子が惹かれるのも当たり前と思わせるオディール。

4幕の始まりはびっくり。拍手が出るのもわかる。いや、そうなの、すごい。ここからも形が水紋のように変わっていく。
最後の白鳥たちが怖くて。「SWAN LAKE」の白鳥たちよりも怖くて、ロットバルトが少しかわいそうになったのでした。

演技ができる踊り手さんの演技が見られる踊りは素晴らしく、
各所で絶賛されているのは当然で、
しかし、私はなんだか目の前の舞台をそのまま受け止めて。
そりゃそうだろ、みたいな。
特別なこととは思えず、あって当たり前のような、そうあって当然のような、そりゃそうでしょ、のような。
カーテンコールでの2人、抱き合ってキスしそうだったもんなぁ。それくらいのものが、当たり前に浮かび上がってきた舞台で。

同時代に生きていて、舞台が観られてよかったと感じたのです。