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どこかにいる

三國万里子さんの「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」

物ごとへの感じ方、接し方、対応の仕方は人それぞれで、そのことにしんどさ、苦しさ、やるせなさを感じていようとも、そのことをどこかで誰かと共有する、受け止めることができれば大丈夫

子どもの頃にそのことに気づいていなくても、今、気づいていればよい

比べても仕方のないことなのは承知の上で
今、出会う人たちは子どもの頃に、そして大人になってからも、家族からなんといろいろなものを与えられているのだろう
子どもの頃に感じる違和感、習いごと、ほしいもの、いじめ、進路、交友関係、交際関係、職探し、就職、はたらく中でのつまずき、日常生活…
そういうものに対して、私は家族からいい印象が残る言動を受けた記憶がない
私の心を折り、否定したものはいくらでもでてくる
だから、自然と話さなくなり、距離を置くようになった
それでもしばらくはこちらから歩み寄ろうとしたのだけれど

そんなでも、今、私はお話したい人がいて
この本のことを、家族に話してもわからないだろうけれど、わかってくれるだろうなと思う人がいる