「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」
noteを始めて2年ということで、
2年前の私はかなりひどい状態だった。
年の初めにダメージを受け
年度末にダメージを受け
退去通告を受け
などなど…
もう、ずっと疲れてた。
そんななかで、「新しいことを」と薦められて選んだのがnote。
薦められたからには続けなくてはと、正直しんどかった。
今、2年前を振り返って感じるのは
疲れてたよね
てこと。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいると言われた。
引っ越し先で前の家で出来てたことができないのはなぜかと不思議だった。
疲れてて、エネルギーが落ちているのだから当たり前。
職場でもしんどかったのは、配置が変わり、人が変わったのだから、当たり前。
それがわからないほどに疲れていた。
何事にも合う合わないがあり、
カウンセリングや本もそう。
少し前に出会った下園壮太さんの本が今の私には合っていて、
そう、疲れているから当たり前なんだと。
疲れないようにするんだと。
疲れないようにすることが大事なのは本を読む少し前に気づいた。
昨年の夏、とても疲れていて、愚痴ったときに
「そういうときはどうするの?」と言われて
「は?何するて、何もしたくないよ」と胸中で感じたのを覚えている。
そのときに、「私、疲れてるんだ」「疲れることしたらあかんわ」と。
疲れないようにするのが今の私の最重要
で。
数日前からある女優さんの日記を読んでいる。
その女優さんは好きだし、舞台となっているヨーロッパの街は行ってみたいと思っているところなので、楽しみにしていた。
が、楽しくない。
その要因は日々の家のなかのことを全て彼女がしているから。
コロナ禍で彼女も夫も仕事ができずに家にいる。
彼女は現地の言葉をオンラインで学ぶ合間に、毎日掃除をし、洗濯をし、食事の支度をしている。時に、オンラインレッスンの時間に間に合わないこともある。
夫はその間、行先や帰宅時間を告げず、山歩きや自転車で出かけている。
一日家にいるのはよくないと彼女を散歩に連れ出すが、帰宅後急いで晩ごはんを作るのは彼女。
夫の前妻の子どもが時々遊びに来るが、子どもが来る前に家を片付けるのは彼女。家で子どもと時間を過ごすのは彼女。
もちろん、彼女がそれでいいのだから、いいのだ。
本に書かれていないことがあるのかもしれない。
しかし、私はイヤな気分になるので、読むのをやめた。
彼女は私より少し年下の同じ世代の人。
私の周囲を見渡しても、家のことはほぼ女性がやっている。
最近「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」という本を読み、ますます感じる。
女性が家のことをしているから男性は生きていけるんだよと。
私はそれがイヤで。
一時、そうしていた自分がイヤで。
そうなりそうな自分がイヤで。
だとすると、今の状態が自分にはいいのね、きっと、と感じている。