私のすべて Part1


今回は私の人生について話そうと思います。
長くなるので

1部は 小中学生時代
2部 高校から今にかけて

に分けてお話します。

私は生まれつきのアトピー性皮膚炎で
ご存知の方が多いかもしれませんが皮膚が弱く痒くて傷などが出来てしまうという病気を持っています

大人の方だったらどういう症状なのかというのがザックリわかると思うのですが小さい頃はアトピーという病気もどうして沢山傷があるのかも認知していなかったので小学生の頃は

何それ病気?うつったら嫌だ気持ち悪い

というところから始まり
小学生の時にいじめを受けていました。

小学生はアトピーが酷く顔全体まで傷だらけだったのでまあ受け入れてくれる人もいなく、

親にも相談しましたが、

とりあえず学校に行きなさい。負けて悔しくないの?

と言われとりあえず学校には行ってました。

先生にも親が相談をし、
いじめてた子の親が謝るというのが何度もありましたが治ることもなく、先生までもが私のことをいじってきたので、

あもう無駄なんだ誰も居ないんだ

とどんどん思い込むようになりました。

でも唯一救いがあり、近所の子(Yちゃん)だけは友達でした
なのでその子と毎日のように遊んでいました。

中学になり、私のところは繰り上がりなので
中学でも小学校のメンツは同じでした。

中学1年の時バスケ部に入ったのですが
Yちゃんとは離れ、何しろバスケ部に入っても強い子しかいなく友達がいなかったので孤独でした。

強い子から文句は言われ、先輩からも責められととても怖い環境でバスケをやっていました。

なので怖くて不安もかかえるようになったしいじめられてきた恐怖もあり自分を出せずいつもしまっていてとても追い詰められていました。

唯一の友達にも話せる感じではなく
親にも相談しましたが逆にあなたが悪いのでは
と言われこれも無駄だもう誰にも話せない

こんな人生捨てたい死にたい

とまで思うようになりました。

そして中2の時。

学校を少しずつ休むようになりました。

不登校にはなってないのですが週1.2は休んでいました。
その間Yちゃんにはたくさんの友達ができ、安定の子も出来ていたので、なんでうちじゃないの?親友じゃないの、、と嫉妬が強く

Yちゃんがいなきゃ終わる。

私は誰も居ない。友達なんて誰もいないんだ。

とYちゃんに依存していました。
それで喧嘩もあり、どんどん自分が分からなくなり崩れていきました。

そしてある時、、

死にたいけど死ねないもう分からない。

切ろう。と思い自傷行為もするようになりました。

辛かったら切る。それが安定剤。
それで少し落ち着かせていました

そのまま中3にあがり、何事もなくただただ闇にのまれていくだけで

唯一の幸せは推しが出来たので推しを見ること。

でも学校に行かないと進路がやばいと言われたので
学校だけはいき、もうさっさと帰りたいとしか思ってませんでした。

そして受験時期になり、勉強をして

晴れて高校に、、


今回はここまでで次に続きます。

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