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積み重ねた先に

積み重ねというのは、目に見えてわかることもあれば、見えにくいこともある。

特に安心感や信頼関係は見えにくいと不安にもなるし、これでいいのか?という迷いも生まれる。

ただ、やはり目には見えにくくても、しっかりと積み重なっていることがある。あからさまな変化としては見えなくても、確実に体験として積み重なり、ある程度まで溜まったときに「なんらかの形」として現れる。
そういうことが、このところ続けて起こっている。

積み重なって溜まって溢れ出るときには、とてつもなく素晴らしい形となって現れることも多い。
音楽療法という場においては明確に「音」としてそれが現れることも多く、驚きを通り越して感激する。

私の主なクライエントである子どもたちは、言葉にならない想いや衝動、欲求などを、意識的なのか無意識的なのか音に込めてぶつけてくる。
障害の軽い重いは、実はあまり関係ないとも思う。

決められた課題を大人から指示されてするときとは全く違う、「解放された心の叫び」。
「自分がやりたいことを、やりたいからやっているんだ」というときの音は、もう、素晴らしいとしか言いようがない。

そういう時は特に、こちらも真剣勝負。
音楽の上では子ども相手、ではない。アーティスト対アーティスト。
音の質、グルーヴ感、タイミング、、全ての毛穴という毛穴をかっぴらいて集中して、ともに音楽を創りあげていく。

そういう「溢れ出て解放される日」が、目には見えない積み重ねにより、こちらには(おそらくクライエント本人にも)思いがけずやってくるのである。

しょっちゅうあることではない。
だからこそ、そういうことが起きた日にはふるえるほど感激するし、「これまで続けてきて良かった」と心から思う。

建前は「支援をする側」ではあるけれど、こんなふうに音楽を通して私の心をふるわせてもらって、こんなに幸せなことってあるのだろうか。
この感謝を返していくには、これからもクライエントに対して、音楽に対して、そして自分自身に対して、ごまかさず真摯にいること。

それしかない。
肝に銘じて。