「やっとゆっくりできると思っていた」を繰り返す
大学4年生。看護学生。忙しい。こんなことを書いてる暇があるならやるべきことを終わらせろと自分に言うけれど、誰かに愚痴を言いたい。でも友達はみんな同じくらい忙しい。
看護学生の学生時代が超多忙なことは全員が知ってるし私も知ってた。
脳の容量を余裕で突破する詰め込み授業、体力も精神力も追い込んでくる実習、実習にインターンやら採用試験を被せてくる就活。ありえない。それを乗り越えれば正直どうにかなるとさえ思わせる国試、卒論も正直書けば終わると思っている。
記憶はほぼ飛んでいるが超多忙な3年の実習を乗り越え、4年生の最後の統合実習もスーっと通りすぎた。なんとなく、いや、わからないなりにちゃんと考えた就活。第一志望の病院にも内定をもらった。
あとは好きなことに時間を使おう。見ようと思って見れてなかった映画を見よう。積読をゆっくり読もう。ジムに行って体を鍛えよう。旅行とかも行こうかな。友達とも遊んで実家にも帰ろう。
だと思っていた。
なのに今、なぜか心のゆとりが全くない。
ずっと何かに追われている。
何かとは、きっと、
国家試験勉強(2週間後に模試があるから)
卒論(2週間後に計画書を完成させないといけないから)
TOEIC(卒業までに900点をとりたいから)
遊ぶこと(来年には社会人になっているから)
国家試験は来年2月だが、いままでの授業への態度といまの自己学習への集中力を考えたら半年は本気で勉強してないと確実に不合格だ。保健師の国家試験もあるが、いまだノータッチ。こっちは最悪不合格でもいいと思う反面、不合格だと自分のことを嫌いになるだろうから絶対に落とせない。
模試だから別に勉強しなくても、と思うが、周りの勉強してないは勉強している、ということに、学生時代、何度もはめられた。もうだまされない。やってないというほどにやっていると思うようにするんだと心に決めている。
卒論に関しては、自分は研究が嫌いだ!!と叫びたい。勉強は嫌いじゃない。なにかに精通した人の話を聞くことも好き。考えることも好き。だけど、考えるっていうのは、自分の思考の方向を楽しみ、途方もなく膨らむ考えに満足しているだけで、思ったことをあの手この手で証明しようなんて思わない。
自分で進めないと終わらないことも辛い。マラソンをしているみたい。べつに休んでもいいけど、進まないとゴールにたどり着かない。ずっとたどり着かない。つらい。お願いなのでタイムオーバーでも頑張ったで賞で卒業させてください。
TOEICに関しては第2のキャリアのためにこの4年間ずっと勉強し続けてきた。3年では700点を超え、次は800点を目指せるところで、600点に転落した。いまは今までで2番目に英語が嫌いな時期。さあ、ここを乗り越えられるか。
ただ全く手が出ない状況にある。9月にはTOEICを受けたいが卒論は大丈夫だろうか。いやなにがなんでも終わらせるんだ。卒論だけは、もう半ばあきらめでいい。自分は苦手なんだ。無理して素晴らしい卒論を書こうなんて思わなくていい。
あと1年、あと1年、と、4月からずっとカウントしている。気づけば8月。あと半年とちょっと。自分の誕生日も来てしまった。22歳。
こんな22歳いてもいいのか、と思うくらい、やる気のない人間。
幼稚、とか、容量が悪い、とか、責任感がない、というほどはっきりした欠点はないと思う。それなりにしっかりして生きてきたはずだから。身の回りのことも、だいたいのことは一人でできる。
だけど、なにに対しても必死になれない。うまくいかないことに慣れている感じ。
やる気がない、が自分にぴったりだ。こんな人間やめてしまいたいが、やめるためのエネルギーも持ってない。
つらつらと自分の悪口を言ってしまったが、他人と比べたら、薄情なわりにセンチメンタルで、中学生みたいな精神年齢だよなと思う。しゃべらないだけでどうにか精神年齢+5歳くらいを保っているが、他人が自分のことを深く知ったらどれだけ落胆するだろうと、ずっと考えている。
こんな人間が社会にでることをどうか社会人のみなさん許してください。
卒論を軌道に乗せたら、見たかった映画を見よう(ずっとこんな感じで卒業を迎えそう)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?