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幻想体・ねじれと大罪属性に関する考察①フィリップ・泣く子編

序論

Project Moon制作のゲーム『Limbus Company』において、同社のゲームシリーズに登場する存在である幻想体およびねじれに対して、七つの属性が割り当てられていることが示された。この属性は、一般的に「七つの大罪」として知られているもののうち、「強欲」を「憂鬱」に置き換えたものが使用されている。本考察ではこの属性の割り当てを拡張し、同社の過去作品のキャラクターに対してその属性を検討する。第一回では『Library Of Ruina』に登場するフィリップおよび泣く子について、ゲーム上の表現を字義的な要素と属性的な要素の観点から考察する。

本論

フィリップ・泣く子のキャラクターと役回り

フィリップは『Library Of Ruina』の登場人物であり、第四章「都市疾病」から登場し、四つあるストーリーラインのうちの一つで中心を担う。九階級あるフィクサーの中で五級に認定され、職種の中では中堅相当の実力があると考えられるが、精神的は未熟さが多く見られる。同僚のユナに対する慕情をはじめとした感情の揺れ動きが大きく、上司であるサルヴァドールからは気にかけられている。

劇中では舞台となる図書館での戦闘において、サルヴァドール、ユナ両名が殺害される場面に直面し逃走する。その後協力者オスカーへの援助をもとに再び図書館へ出向くも敗北する。逃走を図るも、自身の「利他的な行動の利己性」を自覚しE.G.Oを発現、図書館の勢力へ立ち向かうことを決意する。しかし結果は力及ばず、敗走する。

フィリップの行動の特徴は、自らの行動に対する関心の無さにある。例えば一度目の敗走の後オスカーに助力を求めた際、何故最初にサルヴァドールの家族に彼の死亡について伝えなかったのか、掛けていた保険を適用することをしなかったのかを問われたが、フィリップは「申し訳が立たなかった」といった曖昧な回答に終始した。ここから、フィリップの劇中での行動は非常に衝動的で、中長期的な問題へ対処する姿勢を欠いていると言える。

また人間経験の不足も垣間見え、サルヴァドールの称賛を額面通り受け取ったり、サルヴァドールの旧友ウォルターの死に対するつっけんどんな態度に困惑したりするなど、周囲の言動をあしらえずに直接的にぶつかって必要以上に動揺する様子が見られる。

泣く子とは『Library Of Ruina』に登場するフィリップから生じたねじれであり、第五章「都市悪夢」の事実上のボスである。フィリップは上記の敗走の後、「8時のサーカス」団長のオズワルドをはじめとする第三者の干渉によって決意を保つことができなくなり、泣く子へと変異する。その後はオズワルドの指示によって図書館へと送り込まれるも再び敗走し、そこを「青い残響」ことアルガリア率いる「残響楽団」に拾われ、また図書館へ挑むことになる。最終的に図書館の勢力に敗北し、紙片が焼けたような演出とともに消滅する。

変異後の泣く子は三体に分かれ、それぞれ目、耳、口を手で塞いだポーズを取っている。これによって周囲の反応に対して部分的な反応しか取ることができず、周囲の発言を攻撃的に受け取った被害妄想的な言動が多い。セリフの中でも「きっと僕の悪口を言ってるんだろうな」は特に象徴的であり、ファンコミュニティ内でも有名な発言である。

泣く子と三猿

まずは泣く子の造形的なモチーフについて改めて振り返っておくことにする。泣く子の取るポーズである、目を塞ぐ、耳を塞ぐ、口を塞ぐというモチーフは一般には、日光東照宮の三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」のモチーフであると説明される。

日光東照宮の三猿

(余談だが、戦闘BGMである『And Then is Heard No More』においてもこれらのモチーフは使用されている。時折「言わざる」の部分は口がなくなったから歌われてないとするコメントを見るが、実際には曲の冒頭で"So I spoke no more"(だから僕はもう話さなかった)と歌われている。ループ部分には乗らないため、印象が薄いのだと考えられる。)

しかし不安定な泣く子のコアストーリーからは四つ目の行わざるが見えてくる。

僕を害そうとする全てのものには目を隠せ。僕を間違ったところに導く話は聞くな。不必要な悪を口にするな。そして最後、行うな。そうして僕を幸せにしろ。

『Library Of Ruina』不安定な泣く子のコアストーリーより

これを鑑みるに、より直接的なモチーフは『論語』にある次の一節であると考えられる。

非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動

『論語』

「礼」とは『論語』およびそこから発展した儒教の教えにおいて、「人の道に適った正しい行い」である。即ち、人の道に反した言動は、見るな、聞くな、言うな、行うなということである。

それでは、フィリップにとっての正しい行いとは何であろうか?ここについて考えたい。前述の引用文を整理すると、害を防ぎ、幸せにする行いとなる。では、「害」と「幸せ」とはなんだろうか?これはコアページストーリーの内容から、自らの悪行を自覚させ糺すような態度が「害」であり、また自らの責任を回避して気分が楽な状態が「幸せ」であると読み取れる。すなわち、自分が抱え込むことになる負担を回避するということが彼にとっての正しい行いであるということなのである。具体的には、自らの惨めな光景には目を塞ぎ、自らの責任を問う言葉には耳を塞ぎ、自らに恥をかかせる言葉に対し口を塞ぐという防衛的な態度が、受動的に選択されている。この自己防衛的な姿勢は、まさに字義的な怠惰性の表れである。

泣く子と天使

次に、泣く子の造形モチーフに用いられている要素である天使について取り上げる。一般的にキリスト教において天使とは、神の遣いとして人々に預言を伝えたり、守護者として働いたりするものとされる。例えば大天使ミカエルは、天軍の長として剣を持ち、悪魔と戦うとされている。泣く子においても武器を召喚して自ら戦うという姿は捨て去られてはいない。しかしながら、武器の造形がサルヴァドールやユナのそれであることから、彼の戦う姿とは過去に縛られたものである側面が大きい。

天使のモチーフとして広く用いられているものの一つとして全裸の子供、裸童がある。ラファエロ作の絵画『システィーナの聖母』はその代表であり、画面外枠にあどけない表情で聖母を見つめている天使の描写で有名だ。泣く子の分裂形態はこのような美術的な裸童像にならった造形がなされている。これはフィリップの欲求が極めてプリミティブな感情に由来していることを示唆している。

ラファエロ・サンティ作 『システィーナの聖母』

ここで、これら二つの天使の要素を総合して考えてみる。泣く子の戦闘ではこれらの形態が何度となく入れ替わり変化していく。このことはフィリップの不安定な「戦う意思」と「欲求の幼稚性」が両立しているわけではなく、流動して存在していることを示している。凝り固まった考えに執着しているわけではなく、一つの結論を導ききれずに揺れ動くままに振る舞っている、というのが、泣く子になってしまったフィリップのあり方なのである。

大罪属性と「属性」

では、ここでフィリップ及び泣く子の大罪属性を、これまでの論を整理しつつ考えていく。大罪属性は、幻想体およびねじれに対して付けられる属性として、外伝小説『ねじれ探偵』において、初めて記述がなされた。『Limbus Company』においては、戦闘キャラクターの使用するスキル属性、および耐性情報として、いわゆる物理三属性である斬撃、貫通、打撃属性とは別に銘々に割り振られている。大罪属性にはゲーム的な属性の他に、色彩、外観、質感といったイメージが定められており、ゲーム内のキャラクター、特に幻想体に対する割り当ては概ねこのイメージに則って決められている。例えば、憤怒属性であれば赤、炎、熱く激しいさまであったり、憂鬱属性であれば淡い青、水、冷たいさまであったりする。

七つの「大罪属性」

これをもとに、泣く子の属性を考える。泣く子は劇中では蜜蝋の体を持っていると言及されている。またフィリップの時期はサルヴァドールから、異名を授かるのであれば黄色であろうと目されており、彼を象徴する色が黄色であることをうかがわせる。これらの特徴に対応する大罪属性は怠惰属性である。この属性のイメージは概ね黄色、岩石、凝り固まったさまであり、色はもちろんのこと、一度奮い立てた決意を捨て慰撫の感情に終始するさまはこのイメージによく一致する。また彼の戦闘背景はギリシャ風の大理石建築であり、岩石の外見的特徴という面からも符合している。

ここで、怠惰属性の「あり方」について考える。すなわち、どのような行動原理にその特徴が表れているかという観点である。辞書的な意味では、怠惰とは次のように説明される。

たい‐だ【怠惰】

[名・形動]なまけてだらしないこと。また、そのさま。「怠惰な人」

デジタル大辞泉より

このように、一般的には怠惰とは、すべきことを行わずだらけている様、という意味で用いられる。また、非行動的、非積極的で、強固な意志が無いというイメージとも親和的である。一方で、『Limbus Company』の怠惰大罪?の観測情報には次のような記述がある。

姿はうつろえど、かの石ころは依然とし怠惰なる生命なり。
それならば、うつろわぬを誓うは勤勉なることやもしれず。
うつろうことは怠け、うつろわぬことは怠けたらざらぬやもしれず。

『Limbus Company』怠惰大罪?観測情報より

「うつろう」という怠惰からは印象の異なる「変化する様子」が怠惰であるとされ、「うつろわぬ」ということが勤勉であるとされている。ここから、Project Moon世界における怠惰とは、字義的な非行動的な姿勢とは異なる、変化に対して身を任せ受容する姿勢であることが読み取れる。むしろ、一つの形態として自己を保ち続ける意志を持つことが勤勉であるとさえされているのである。

ここで改めてフィリップの劇中での言動を振り返ることにする。フィリップは自身の行動原理について、事務所の同僚に対する利他心であると発言している。しかしその考えは非常に利己的なものであるとオスカーに指摘されている。これは自らの行動の指標として他人を利用している、ということである。すなわち「誰々にとってこうだからこうする」という曖昧な基準の選択であって、自身の主義主張に従った行動ではないということである。一方でフィリップは彼の行動の責任は彼自身にはないと言って欲しがっている。楔事務所で自責する発言をした際、パメラに自分の責任だと思うのなら自分の責任にすればいいという旨の発言をされて面食らっている。これは彼の自責が表面的であって本心からのものではないことを表している。しかし自身の悪行については自覚しており、図書館での二度目の戦いではこの罪を引き受けて立ち上がる意志を持つことができた。そのため、E.G.Oを発現することができたのである。ただしこの意思は不安定なものであり、8時のサーカスでユナとサルヴァドールの幻影を見せられた際はたち消えてしまった。これはこれまで自身に対する責任を回避し続けており、罪に向き合う経験に乏しかったことを反映している。

このように、フィリップがE.G.Oを発現する過程は、外界に流されて責任に直面しない「怠惰性」とその罪を引き受けて「まっすぐ立とうとする」アンビバレントな意思との拮抗であった。しかし己の経験の不足故にその対立は拮抗したままであり、最終的にこれまで逃れていた問責に向き合えず意思がたち消えてしまい、「怠惰性」のみが残ってしまった。これがフィリップの泣く子としての罪悪の現れなのである。

結論

本論ではフィリップ、および泣く子について、劇中の行動と外形モチーフからその罪悪属性について検討した。ねじれとしての泣く子は論語の一節と天使を直接的なモチーフとし、その罪悪属性は怠惰を明示的かつ暗示的に表現しているものであった。また罪悪属性としての怠惰は、辞書的な非流動性とは対照的な変化する形態を内包していることが示された。最後にこれらをもとにフィリップのE.G.Oが罪悪としての怠惰性と対立して存在していることが示された。

画像出典
三猿 - wikipediaより:撮影者 Ray in Manila - https://www.flickr.com/photos/rayinmanila/42687150801/, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=82531971による

『システィーナの聖母』wikipediaより:パブリックドメイン

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