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【Singer-001】日陰のタネ〜弱くたっていい、臆病でもいい〜photo by シロクマ センセイ

写真を提供してくださったシロクマ センセイのリンクはこちらからどうぞ https://note.mu/4690sensei/n/n39410a84ff12


生温い時間が 過ぎていく テレビでも ラジオでも 笑えない

汗を吸ったTシャツが べとついてる この染みも 悲しみも 消せない

殴りたい壁 割りたいグラス 想像で止めてしまう…唇を噛む

(【Song-004】日陰のタネ)


 高校で初めてコンピュータと出会い、ワクワクして夢中で勉強した。コンピュータの世界を知れば知るほど、楽しかった。ポケコンとベーシックにハマり、プログラミングに没頭した。コンピュータの資格も沢山取った。

 普通だったら、そのままシステムエンジニアになっても、おかしくはない。しかし、そこまで夢中にはなれなかった。理由はこうだ。

 高校2年生の時から、アコースティックギターを始めた。きっかけは姉と当時付き合っていた彼氏が、弾き語りが上手で、その演奏を見た瞬間に、その日のうちに、全財産のお小遣い2万円でギターを購入した。それから毎日のように、学校から帰ってくると好きなアーティストの歌を練習して歌っていた。音楽にハマればハマるほど、コンピューターへの情熱は失われていった。

 高校の終わりぐらいから、音楽理論を独学で勉強するようになり、自然とジャズが好きになり、高校から大学に入るぐらいで、弾き語りから、ロックギターにハマり、ロックからブルースにハマり、ブルースからアドリブにハマり、アドリブからジャズにハマり、その流れで大学のジャズのサークルに入り、原付きバイクでジャズギターを背負っては、他の大学へセッションに行ったり、英語の授業で講師をしていたアメリカ人のクリスが、趣味でジャズベースをやっていると知り、それから毎週のように二人で、スタンダードの曲をアレンジしたり、セッションしたりと、それはそれは音楽三昧の毎日であった。

 その頃、僕には親友のY君という子がいた。彼は当時ファッションデザイナーになりたいという夢を持っていた。僕はジャズギタリストになりたいと彼に話し、お互いに夢を追いかける友人として、よく将来のことを話していた。

 普通だったら、そのままジャズギタリストになる夢を追いかけて頑張るのが普通だろう。しかし、あれだけ夢中になったギターでさえ、そこまで本気になることが出来なかった。

 何故かと言うと、他の演奏が上手な人たちに出会い、セッションすればするほど、またプロのギタリストである師匠にギターを習い、その師匠の演奏を間近で見れば見るほど、自分の力の限界が見え始めていた。才能、積み重ねてきた時間、センス、環境、モチベーション、人と自分の様々なギャップ。

 僕が通っていた大学は音大ではない、普通の大学だ。当然、勉強には力が入らず、遅刻や欠席が増え、浪人時代の反動からか、田舎から都会に出た反動か、生活はどんどん乱れていった。

 やるべきことが、ちゃんとやれない。なので、やりたいことも、そこまでやりきれない。何をやるにしても、”挑んで”いるのか”逃げて”いるのか分からなくなった。

大好きな”音楽”はいつしか”音が苦”に変わっていた。


 ちょうどその頃、Y君の幼なじみで大親友のO君が、たまたま僕がY君の家に遊びに行ったときに、泊りに来ていた。O君は自動車関係の仕事を辞め、かねてからの夢であった、スタイリストになるんだと、遠くを見つめながら、未来の自分をそこへ描きながら嬉しそうに、楽しそうに話してくれた。

 夢を語るO君はとても楽しそうで、さらに仕事を辞めて、今までのキャリアを捨てて、これから夢に向かってチャレンジをするという姿に、勇気があるな〜と感心してしまった。それに比べて僕はというと、環境のせいにし、人のせいにしていた。

 自分は飽きっぽい人間なのではないか。すぐ諦めてしまう意気地なしの人間なのではないだろうか。また自分を信じられなくなりかけていた。自分を嫌いになりかけていた。16歳の頃の自分がまた脳裏によぎる。


「こんなものさ」と 諦めてないかい? 

「どうせオレは」と 言い訳してない?

これからもそうやって 逃げて行くのかい?  


 いやもうあの頃の自分ではない。あの頃の自分になんて戻りたくもない。そこでふと、あの言葉が蘇ってきた。

「どうせ人と自分を比べるのならば、自分に無いものを相手から学べ。そして吸収し、自分のものにしろ。」

僕が敬愛する恩師が教えてくれた言葉だ。そうだ、O君を見習って自分も環境のせいにするのは、もう止めようと決意した。


そんな 日のあたらない 日陰のような毎日を 捨てて


 自宅に戻り、ジャズギターではなく、ホコリまみれになった、2万円のボロくなったアコギの方を手に取り、久しぶりに爪弾く。しばらく遊んであげなかったせいか、ごきげん斜めな音だ。

 「ごめんね」と呟きながら、そのまま適当にコードを弾いていると、心の”もやもや”から、メロディとフレーズが浮かんできた。


弱くたっていい 人の傷許せるから 臆病でもいい 大事な一歩踏めるなら

握り締めた手は やがて向日葵のように 太陽めがけて 開いてゆくのさ


 そうだ、自分らしくでいいんだ。突き詰めて突き詰めて”限界が見えてくる”からこそ、そこで初めて”その道ではない”と分かるのだ。

”限界というゴール”は、実は新しい”次へのスタート”なのだ。

 僕はまるで、日陰に落ちてしまった”向日葵のタネ”だ。太陽の花なのに、いつまでも根を張ろうとしない。日陰にいることを恥ずかしがっている。雨も当たらないことを嘆いている。そしてあの高台に咲いている向日葵を妬み、恨んでいる。そんなに日が当たらないなら、太陽が当たるところまで”葉”を伸ばせばいいじゃん。そんなに雨が届かないなら、水があるところまで”根”を伸ばせばいいじゃん。

そして、自分が”太陽”になればいい。

僕は自分を鼓舞するために「日陰のタネ」という曲を一気に書き上げた。


風に吹かれて…


次回へつづく


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