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「#あの素敵なセカイをもう一度。」

小坂理加です。

前回の記事が多くの方に読んでいただいて感謝しております。

応援していただいて、社会の役に立つために何かをやっていきたいということを考えました。

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私は、2020年3月に大学を卒業し、4月から東京コンサルティングファームに入社し、入社と同時に、新卒海外研修生として、トルコに赴任することが決まっていた。

「決まったいた」けれど、私は、まだトルコにはいない。
「1カ月もすれば、この事態は収まる」のかと思っていた。

地元の岩手から飛び出し、今頃、トルコにいるのだと思っていた。
トルコにもいけなければ、GWだというのに、実家にも帰れていない。

留学にいけなくなって、困っている人もいるようだ。

動かくなったセカイの前で、立ち尽くしているのは、私だけじゃなかったんだ!

私が、セカイの前で立ちすくしたあの日のことを思い出す。

2020年3月29日。成田空港からトルコへ旅立つ日である。

この日の成田空港は、閑散としていて、今まで感じたことのない異様な雰囲気が漂っていました。私の知っている空港は、「旅たちのワクワク」と「お帰りの温かさ」が入り混じった人情味ある空間だ。

けれど、この日の成田空港は、私が知っている姿とは全く違っていた。

帰ってくる人も、仕方なくという感じだった。

3月27日の夜、トルコのエルドアン大統領が、「国際線の全面停止」を発表した。

それでも、私の乗る予定の便は、キャンセルにならなかった。

飛び立てるのか、飛び立てないのかわからないまま、私は、成田空港へ向かった。

そして、空港のカウンターで私の順番がやってきた。カウンターの女性が、眉間にシワを寄せながら、

ちょっと待ってくださいね。

と言ってどこかへ行ってしまった。

期待と不安が入り混じり、パスポートを握る手に自然と力が入った。

ー待つこと15分ー

トルコ人以外は、乗れません。

私の乗る飛行機は、トルコ人がトルコに帰るためのものだった。
体中の力が抜けてしまった。

父から貰ったアルバム、同期やたくさんの人からの寄せ書き、たくさんの想いを背負って、飛び立つ気でいた。

心の中で、ポキッと木の枝が折れる音がしました。

走馬灯のように、赴任前の20日間の東京でのインターンの日々を思い出した。毎日課題に終われながら、睡眠時間を削ってがんばってきたこと。同期の仲間の顔。

残念という言葉では表現しきれない。
どこにぶつけていいのかわからないこの気持ち。
どうしようもないこの気持ち。

思わず、その場で、しゃがみこんでしまった。

トルコの拠点長に電話をし、このやり場のない気持ちをぶつけた。笑いながらも聞いてくれる拠点長。

何で行けなかったのだろうと、またしても込み上げる想い。
電話後も、どうしてもその場から立つ気になれなかった。

空港で勇逸空いていた売店が、閉める準備をし始めたのを見て、時間が過ぎていたことに気がついた。あ、帰らなきゃ。

そこにいても仕方がないので、キャリーケースにパンパンに詰めた30kgの荷物をもって、社宅に帰ることにした。

荷物を押す気力も残っていない。

荷物を押しているのか、押されているのかわからないような足取りだった。

どうしようもない、ままでいいのか

あれから、1カ月がたった。日本も、緊急事態宣言が発令された。世界各国は、依然として、外出禁止令やロックダウンがされている。

「どうしようもない」と思う日々を一カ月すごした。

桜は、見ることもなく散っていった。
岩手に帰れば、桜をみれたのに・・・。

ちょっと前までは、タイにも、ヨーロッパにもあんなに簡単にいけたのに・・・

『世界は、分断されてしまった』

まるで、あの日、津波が、大切なものを分断したかのように、
コロナは、「セカイのつながり」を分断してしまった。

セカイで見た空。景色。人との出会い。笑顔。

2011.3.11

大切なもの分断された。
けれど、より一層大切なものとつながることができた。

私ができる恩返しは何だろうか。

分断されたセカイだからこそ、
『あの素敵なセカイをもう一度』つくりあげていけないだろうか?

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そんなプロジェクトを今回立ち上げようと思っています。

分断されたセカイを1つにする力にするために、
今できることをやりたいと思います。

#あの素敵なセカイをもう一度

小坂理加

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※6月1日から毎日連載※


インド、フィリピン、マレーシア、トルコ、インドネシア、ベトナム、バミャンマーで働く11名の喜怒哀楽の物語。 【新卒海外研修】(連載中) http://www.kuno-cpa.co.jp/recruit/shinsotsu-kaigai/