完全オンラインの幻想

この半年のオンラインのあり方について思ったことについて述べる。私は専門家ではない上に、技術動向について明るくない一般市民であるため、気付かずに誤ったことを書いている可能性も否定できない。ご容赦願いたい。

このnoteの構成を以下に示す。オンラインのコミュニケーションによる情報の量、およびオンライン会議における円滑な進行のために必要な情報について考察し、オンラインにおけるカジュアルなコミュニケーションが困難であることを述べる。このことから、現在存在するツールにおける完全オンラインは困難であると主張する。

オンラインのコミュニケーションにおける、「情報量」について述べる。ここでの情報量は、情報量の定義通りではないことに留意されたい。

日本人の対面でのコミュニケーションとオンライン会議ツールを用いたコミュニケーションの最大の違いは、発話のタイミングが重なったときの人間の振る舞いにあると考えている。対面でのコミュニケーションでは、発話のタイミングが重なっても自然と相互に優先順位を決めているように感じる。感覚的な用語を用いると、「場の空気感」から優先度を自然に感じ取っているように思える。一方でオンライン会議ツールにおいては、発話するタイミングが重なった際は、明示的に優先順位を決める必要がある。つまり、話し手と聞き手が明確に分かれてしまうのである。

このようなコミュニケーションにおける振る舞いは、オンライン会議ツールというシステムを利用している以上避けられない。複数人の参加者の端末から複数の信号が同時に入力されたときに出力される信号がそれぞれの離散信号の重ね合わせになっているとすると、複数人が同時に発言した際にはそれぞれの信号が重なり合っており、上記のような振る舞いが起こるのも納得できる(実際の処理が分からないので、この考えは誤っているかもしれないが)。

このことから、会議やグループワークなどのオンラインにおける3人以上のコミュニケーションは対面以上に難しくなっていると予想される。音声によって得られる情報の量が少なくなっているのが大きい。

オンライン会議において音声によって得られる情報量が減っていることを考えると、会議を円滑に進めるためには、情報を補う必要があると考える。私がこれまで参加したグループワークで一番うまくいったときの状況から、補う必要がある情報、および減らしても問題ない情報について考察する。

私がグループワークの議事録を取り、その画面を共有していたときが一番スムーズに進行した。そのときは文書として確認できる情報により音声情報が補われたことに加え、過去の発言や会議の進行が可視化されていたことが功を奏した。オンライン会議におけるコミュニケーションにおいては、対面の会議以上に文書による可視化が重要であると考えられる。画面を共有している際は、カメラを切っていても大きな問題はないように感じる。

より円滑に進行することを考えると上記のような方法では不十分で、Googleドキュメントなどの同時に編集できるツールを利用する方が良いだろう。

以上より、オンライン会議においては顔が見えることよりも、過去の発言が文書として可視化されていることの方が重要である。さらに、全員で1つのドキュメントで編集する方が効率が良い。

文書による可視化による音声情報の補完は、会議のようなフォーマルな場では上手くいく可能性があるが、雑談や飲み会などのカジュアルな場では上手くいかない。話し手と聞き手が明確に分かれてしまうというシステムの根本的な問題の解決にはなっていないからである。この問題が解決されない限り、オンラインにおけるカジュアルなコミュニケーションが上手くいく可能性はかなり低いだろう。

このことから、話し手と聞き手が明確に分かれてしまう現在のツールを用いての完全オンライン化は困難である。ZOOMはLINEと同様に動詞のように用いられるほど普及していくだろうが、完全オンライン化をするためのツールとしては不十分だと感じる。今後の研究開発に期待する。

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