宵野光さん(@Julius_Li)から受けた同人活動における被害と経緯のまとめ(8):反響を受けて・前

追記6/26:記事(1)、(6)から削除した話し合いについての文面を記事(8)冒頭に記載。立ち会い頂いた方の名前、記事リンク削除)
追記3/29:記事(9)末尾に追記を行いました)

※当記事は宵野光さん(@Julius_Li)、私(たばため)のどちらも知らない方へ向けたものではありません。

初回↓


(6/26:追記ここから)

 当記事は、記事(1)、(6)に記した「第三者立ち会いの元での話し合い」について、当時立ち会い頂いた方(以下「仲介人」)から、「自身の名、ID、話し合いの進行の詳細について公開されたことは不名誉であり遺憾である」との指摘を受け、作成した記事です。
(web上で公開することの許可は当時頂いていました)

 話し合いの内容を後日掲載することの許可は取っていましたが、仲介人の主張を受け記事(1)、(6)内の話し合いに関する文面は大幅に削除・訂正しました


 ですが、仲介人の公開された記事は「筆者が仲介人を不当に貶めている」と過度に糾弾するものでした。

 元の文面を完全に削除し、「筆者は仲介人を不当に貶める文面を公開していた」と取れる状態となることは筆者にとっても不本意です。
 そのため、以下に記事(1)、(6)公開当初の話し合いについての文面を掲載いたします。

・2019年11月:当時共通フォローであった第三者に宵野光さんから立会人・進行役をお願いし、話し合いを行うことに。(初めての宵野光さんからの動き)
 宵野光さんに対してこちらの言い分は18年末までに十分伝えてあるので、事前の打ち合わせで進行役へは「こちらから言いたいことは特にない。宵野光さんの話を聞くだけ。聞いてみて次第」と伝える。


・2019年11月末:第三者立ち会いのもと話し合い
 被っている設定について、行われた迷惑行為について、私がひとつずつ上げ、それに対して宵野光さんが答えることに。

 「あんなに説明してきて疲れ切った、どれだけこちらばかりがコストを払っているかわかっているのか、と散々宵野光さんへ伝えたのに、まだ説明させられるの???」と絶望しながらも、「これが最後だ」と思い、説明してしまう。(ミス)
 私が問題点をひとつずつ上げ、それに対して宵野光さんが「悪かったです」としていく、という形式に対し、進行役から「この流れ続ける意味ある?」と遮られる。(実際、過去既に行われた流れと同じであるため意味がない)

 この点については話し合いに臨むにあたり、私の中での整理が足りなかったと強く反省している。
(立会人に「私は宵野光さんの話を聞くだけ」と伝えたのに、なぜ私が話し合いの主体にされたのかは不明)


・話し合いを経て、宵野光さんと進行役には「解決した!」という和やかな空気が流れていた。
 しかし、私は宵野光さんのほうから自身が何をしたか、なぜそうしてしまったのか、したことについてどう思っているのか、これからどうしようと思うか、の説明がなかったため、解決していなかった。

 その旨を後日、宵野光さんと立会人に伝えたところ、「なぜあの場で言わなかったのか」と責められる。
(立会人にこれまでの二人の話し合いの経緯と状況を共有しきれていなかったことが問題であったと捉えている)
(記事(1)より)


 結局そうした私の不安は的中することとなりました。

(~変更していない文面のため間略~)

 立会人の方には「こちらから話すことはなにもない(既にこの二年で宵野光さんにすべて伝えてあるため)ので、宵野光さんの話を聞くだけ。聞いてみて、なにか話すことがあれば話す」と伝えていました。
 今思えば、ここで入念にこれまでの経緯を共有しておくべきでした。


 結果、当日の話し合いは【キャラ×筆者】と【キャラ×光】の設定を立会人へ説明し、私が迷惑行為を順に説明していき、それに対して宵野光さんが弁明する、といった形で行われました。
(こちらから言うことは既になにもないと言ったし、聞きたいのは向こうの説明であるとは伝えていたのですが)


 これまでの2年、既に私は散々何度も何度も説明していて、そのために受けた被害以上に酷く疲れ切っていて、「私が宵野光さんからどう思っているか説明を聞きたい」と立会人にも伝えたというのに、なぜさらにまた説明させられるのか、と絶望したのですが、せっかく宵野光さんが話し合う気になっており、しかも中立に判断して頂ける第三者もいるのだから、これが最後と思い、私主体でまたこれまでのことを説明してしまいました。

 結果、私が受けた被害について説明し、それについて宵野光さんが「ごめんなさい」と言うだけの会となってしまい、立会人からは「この流れ続ける意味ある?」と言われ、話は切り上げられました。

 被害についての話は取りやめ今後の話となり、互いに今後Twitterで相手の名前は出さないなどの話をして、会は宵野光さんと立会人の二人だけが「和解した!」という雰囲気のまま終わりました。



 後日、立ち会って頂いた方とのDMでのやり取りの中で「宵野光さんには確かに人の言動を真似る傾向があると思うが、そのことを当人に指摘しても仕方がない」と言われ、話し合いは公平・中立なものではなかったと思い知らされました。


 これは話し合いに対し、私が「問題について話をつける」ことを求めていた一方、立会人の方は「友人として和解する」ことを目的としていたため、「公平・中立」の捉え方が異なったためと思っています。

 どちらにせよ、結果的にやはり宵野光さんにとって都合のよい形の話し合いとなってしまいました。
(記事(6)より)

(6/26:追記ここまで)


 一連の記事の公開から約一週間が経ちました。


 被害について優しいお言葉を下さった方、まだお返事できていないコメントが多くありますが、本当にありがとうございました。
 どのコメントも大切に読ませていただいております。

 記事(2)、(3)で紹介した設定の異常な酷似や、言動や出来事の模倣について、「そのように感じていた」「理解できる」といったお言葉も複数いただきました。
 最大の被害は、その後の活動への妨害行為やタダ乗り行為、人間関係への浸食であったのですが、酷似や模倣も憤りを感じている要素であるとともに、白黒つけることは不可能な部分です。
 第三者の方からもそのように思っていただけていたと知れたことは、ほっとするとともに、とても励みになりました。



 それとともに、現在の状況は私が認識していた以上に悪いものとなっていた(私が思っていた以上に、既に私の名誉は傷ついていた)ということも改めて認識することができました。

 今回の記事で紹介する、記事(1)~(7)の公開を受けての反響記事もその理由のひとつです。


 今回の記事では、前回(既に記事の全文字数が長大であったため)文字数を割くことができなかった話し合いのひとつについて、根本的に不均衡な構造があったことを筆頭に説明していきます。



◆言及エントリ

6/26編集:記事リンク削除)

 記事(6)内、2019年11月の第三者立ち会いのもとでの話し合いについて、当時宵野光さんが立ち会いをお願いした仲介人の方からご説明、訂正、補足をいただきました。

(この先の文面は3/18 AM3:00時点での記事内容を参照し、引用しております)




◆前提として:この話し合いの根本にあった構造的不均衡について

 一般論として、加害者と被害者のやり取りにおいては、被害者への精神的ケアが必要とされます。
 「加害者と被害者」は対等ではないためです。

※※今回の件について、「宵野光さんから加害があった」点については立会人も認めております。※※


 その上で、宵野光さんが話し合いにおいて第三者の立ち会いを望んだ目的は、主に宵野光さん自身、つまり加害者への精神的ケアのためであったと捉えています。


 私自身、通常であれば第三者の立ち会いは公平性の維持のため歓迎したところです。しかし、

迷惑行為の経緯を見ても、私が断片的に攻撃的なツイートを行ったことに対して宵野光さんが「全部自分が悪いのです」としおらしいツイートをして周囲へ「こんなに宵野光さんは反省しているのに怒り続けているたばためさんは酷い」という印象を持たれてしまった流れを見ても、宵野光さんは他人を操作することがうまく、逆に私にそうした術がまったくなさすぎるため、宵野光さんに都合よく話を進ませることとなってしまうのではと不安を覚えた
(宵野光さんから受けた被害と経緯のまとめ(6)より)

 上記の理由から、私には立ち会ってくださる方を信用することができず、「第三者の介入」自体に強い不信感、不安感を抱いていました。

 加害者への精神的ケアのために介入する第三者は、誰であるかは関係なく私にとっては実質的に「宵野光さんの味方」であり、警戒して当然の存在でした。


 そして、結果として話し合いにおいて被害者への精神的ケアは、ほとんどありませんでした。


 「完全に対等な個人同士の話し合い」として見た場合、精神的ケアは対等なものであったと思います。
 実際に話し合いの中では、立会人が宵野光さんをたしなめる場面も一度ありました。

 しかし、「加害者と被害者」は「完全に対等な個人同士」ではありません。



 状況を整理します。

【被害者(筆者)】
被害を言い出しにくい状況の中で、1年に渡り被害を受け続けた。
・被害を訴えても周囲から理解の声はなかった。
・2年に渡り「話し合い・謝罪をする意思はある」と表明する加害者に対し、被害者自ら説明を行ってきた。
・説明を行ったものの、2年の間加害者からのリアクションは一度としてなかった。
・2年を経て、セッティングされた話し合いの場で、また被害者自ら説明をさせられながら、加害者の言い訳じみた話を聞かされた


【加害者(宵野光さん)】
・1年に渡り加害を行いながら、落ち込む姿を見せ周囲から精神的ケアを受け続けた。
・被害者から加害について訴えられたことで萎縮した。
・被害者に対し「話し合い・謝罪をする意思はある」と表明しながら、被害者への対応を2年間、全く行わなかった。
・公の場で訴えに対ししおらしい態度を見せ、被害者への対応を行なったかのように振る舞うことで、周囲から精神的ケアを受け続けた。
・「終わりにしたい」と被害者に言われ、ようやく話し合いの場をセッティングするも、またも被害者に話をさせた


 こうした前提の上で、【加害者(宵野光さん)】が主に精神的ケアを受けていた状況は、おかしいものでした。 

 記事「某エントリについて」を受け、複数の方の意見も伺い状況を整理した結果、以上の理由から2019年11月に行われた話し合いは(立会人が誰であったかに関わらず)根本的に、構造的な部分から公平・中立なものではなかった、と考えています。



 上記はあくまで話し合いそのものの前提としての公平さ、中立さの話であり、立会人が誰であるかは関係なく、そのため「実際の立会人個人の進行が話し合いにおいて不当であった」といった主張ではありません。

 また、立会人個人に対し、「私の精神的ケアをしろ/しなかった」と訴えているのでもありません。
(当時はこのような、そもそもの前提としての構造の歪さへ思い至らず、他者を巻き込んだ上、立会人個人に対し不当を訴えてしまいました。申し訳ありません)




◆記事の公開が今となったことについて

 順番が前後しましたが、この度記事の公開に際しこちらから仲介人へ改めての打診を行うことなく、いきなりお名前を出しての公開となってしまったことをお詫びいたします

 「その方が」立会人を行ってくださったことは記事の主旨ではなかったため、お名前は伏せて公表すべきでした。


 話し合い当時公開について確認が取れていたこと、現在相互ブロックで完全に縁が切れていたことから、こちらの配慮が欠けておりました。
 申し訳ございません。

 当記事の公開に合わせ、記事(1)に記載していたお名前とIDは削除させていただきました



 2019年11月の話し合いからこれほど日が空いての公開となってしまった理由につきましては、宵野光さんとの交換ブログでの話し合い打ち切りの決定が2020年6月であったこと。
 実際に宵野光さんと完全な絶縁が完了したのは2020年11月であったためです。

 そこから少し時間を置き、落ち着いて考えを整理してから記事作成へと着手した結果、記事の公開が現在、2021年3月となってしまいました。




◆「某エントリについて」の記事の主旨

共同生活をしている限りたばためさんが光さんを攻撃せざるを得ない
(某エントリについてより)
私が立ち会っている話し合いの中でも、光さんの発言の途中にたばためさんが「あなたの性格のそういうところが…」などと人格を否定するような話で遮ったため、私が介入をして話し合いを中断せざるを得ないような場面がありましたし、おそらくふたりきりの際はそのような場面がより多くあったのでしょう。先述したとおり「光さんの中ではそうなんでしょうね」というような受け答えも頻出でした。
攻撃的な言動によって話し合いが破談になったというのも納得できます。(というかあの調子だとふたりきりで話し合いはどだい無理だったと思い
ます)
(某エントリについてより)

 まとめますと、
「筆者は宵野光さんに対して極めて攻撃的であり、宵野光さんが萎縮するのも仕方がない。
 また、密室である私生活においてはそうした発言がさらに多くあっただろうこと、それらが日々宵野光さんを苦しめていただろうことが推測できる」
 と言った旨の主張であると読み取れます。

 読み手に対し、憶測のみで私生活面についてまで私の悪印象を与えている文面です。


 また、「(宵野光さんに話し合い・謝罪の意志があるにも関わらず)2年もの間話し合いが膠着し続けていたのも、筆者が極めて攻撃的であったためであり、宵野光さんが萎縮し押し黙ってしまったのは仕方がなかった」。

 つまり、「宵野光さんの萎縮ぶりは異常であり、そうさせるほどの異常さが筆者にあった」といった主張であると思います。
 すべて私の名誉を大きく損なわせる主張です。


 ですが、現状、事態をこのように捉えている方は多くいるのだろうと思います。
 こうした記事が公開されたことで、改めてその事実を私自身思い知ることができました。

 そのように捉えられている中で、私が実情を説明し、誤解を解きたいと感じるのは極めて自然なことであると主張します。


 対面、Twitter、どちらにおいても私が宵野光さんへ暴言や攻撃的な発言も行ったことは事実です。
 私の心の弱さからの過ちでした。
(宵野光さんから受けた被害と経緯のまとめ(6)より)

 上記の通り、一連の問題に関するやり取りにあたり、私から宵野光さんに対して攻撃的な発言があったことは事実です。


 しかし、その事実のあったこと「のみ」を取り沙汰されるのは、全体から一部のみを切り取った極めて偏った見方であり、全体像とは大きく異なっています

 この件につきましては、私自身考えが甘かったことを思い知らされました。
 全体像については後日改めて詳しく記述させていただきます。




◆私と宵野光さんの私生活への言及

そしてたばためさんとの共同生活をできれば続けたいこと、
(某エントリについてより)

 同人活動での問題とはまた異なる問題が多く絡んでくるため、私は一連の記事で私生活の具体的なお話は伏せていたのですが、当事者である宵野光さんであればまだしも、(関係者であれ)それ以外の方から私生活について具体的に言及されてしまい、遺憾の思いです。


 言及されてしまったため改めて公開しますが、私と宵野光さんは2017年10月から2020年10月までの間、同じ住宅に生活しておりました




◆話し合いの進行において私が主張したかった点について

私が迷惑行為を順に説明していき、それに対して宵野光さんが弁明する、といった形
(宵野光さんから受けた被害と経緯のまとめ(6)内より)
実際光さんが話をする、といっても「たばためさんが何についてどのような説明を求めているか」がわからないと光さんから話をしようがないし意義もない、という感じだったので、たばためさんからトークテーマを出してもらうというかたちになったと記憶しています。
(某エントリについてより)

 記事(5)、(6)へ記した通り、「宵野光さんのどのような行為がどのように加害であったのか」、私から宵野光さんへは2年の間に説明済みです。

 加え、
「私は宵野光さんからの加害についての説明を求めている」、
こちらから説明することには疲れきって、うんざりしている」、
 といったことも、2年の間に伝えております。

 記事(6)へも記載の通り、それらの点を前もって立会人へ共有しなかったことは私の落ち度でした。



 私が一連の記事において主張したい内容は、「立会人個人の進行が不当であった」といった旨ではありません

 むしろ立会人の進行は(当時立会人にあった情報を鑑みて)極めて妥当なものであり、結果的に話し合いにおいて私が納得することはできませんでしたが、長い時間付き合ってくださり、よくしてくださったと今は考えています。
(「なぜ私主体に?」と強い疑問を感じるとともに、場への嫌悪感が強まったことは事実ですが)

 にも関わらず、その後のDMにおいて私が無礼な発言をしたことは、「前提」の項でも説明した状況の中で、当時私が問題に関して周囲や他者を一切信用できない状況にあり、問題を中立に見ている人がいるとは思えなかったことから他者すべてに対し不信感を募らせていたためでした。



 私が記事で主張しているのは、
「2年かけ、宵野光さんに対してこちらの考えや被害内容を伝え続けてきたにも関わらず、
 『宵野光さんはそれらの内容を立会人へ伝えていなかった』
 『宵野光さん自ら、被害の内容を議題として挙げることができなかった』
 ということは、宵野光さんは加害内容についてしっかりと認識・理解できていなかった
 という点です。




◆「加害はあった」上での宵野光さんの弁明について

たばためさんはご自身が光さんに加害されたと思っているのに対して、光さんはたばためさんを加害しようと思って加害していたわけではないという主張で、たばためさんはそれに納得がいっておらず、お互いそこを覆せないし永遠に悪魔の証明が続いていた
(某エントリについてより)

 この会の話し合いにおいて宵野光さんがこれまでの2年の中では初めて説明する姿勢を見せてくださっていたということも記事(6)へ記載の通りです。

 一連の記事内にも数度記載している通り、「宵野光さんに悪気がなかった」点は私も承知しています。
 「加害の意思がなくとも加害はあった」わけですが、宵野光さんからのお話は「悪意がなかったこと」が主でありました。


 話し合いを始めた当初であればまだしも、2年経った上で、初めから知っている「悪意のなかった話」ばかりを熱心に聞けと言うのは酷な話であると思います。

 「加害があった」のなら、加害の意図はなくとも主としてされる話は「悪意はなかったこと」ではなく、「加害したこと」についてとなるものです。


 そもそもこの話し合い自体、被害者である私自身が宵野光さんへ「そうですよね、悪気はなかったんですよね、わかっていますよ」とよしよしするケア役をこれまでずっと兼任し続け、完全にいやになった後のことです。

 私の態度は良いものではありませんでしたが、そうなった原因は宵野光さん自身が行った加害に加え、2年もの間、問題を放置してきたために他なりません。
 その点を鑑みることなく、私のみの原因であると断定することは少々トーン・ポリシング過ぎるように感じます。


※トーン・ポリシング:発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することによって、発言の妥当性を損なうこと



 「私主体で説明させられていた」時点で、こちらが先に宵野光さんへ被害として示していた「説明させられる」と言う行いが再び繰り返されていました。

 2年待ち、ようやく謝罪の場が設けられたのかと思い向かってみたら、いきなり対等な議論の場へと引きずり出されたのです。
 そうした理由から、私は話し合いの形式に納得いっておりません。




 「この流れ続ける意味ある?」についても、言われたときは「これまで2年に渡り度重なる説明をし続けてきた末、さらに説明させられているのに、それすら『意味がない』とぶった切られた」ことに深いショックを受けましたが、記事(1)の箇条書き内で

(実際、過去既に行われた流れと同じであるため意味がない)
(某エントリについてより)

 と記載の通り、現在は意味のなかった流れである点に異論はありません。

(「それらについての謝罪を行うために場だったのではないか?」という違和感と疑問は強くあるのですが)



 事前の情報共有不足に加え、話し合いの最中に「私から言い出したのでは意味がない」と私から毅然として指摘することができなかった点は、私自身の落ち度でした。
 そうした仲介人にはどうしようもなかった点について、後日DM内で私から納得できなかったと不満を表明するような形となってしまい、申し訳ありませんでした。




◆仲介人との絶縁について

④その話し合いのあと、1ヶ月ほどたばためさんと私のふたりで話をして、その結果として私のほうからたばためさんと絶縁した
(某エントリについてより)

 引用部の内容は事実です。

 今回一連の記事で問題としている点ではないこと、仲介人との絶縁は(話し合いがきっかけであれ)話し合いとは別のところで至った結論であること、個人間の問題であることから、詳細への言及、訂正、やり取りに際し私側が感じたこと・考えの説明などはいたしません。


 「某エントリについて」への返答は以上となります。



◆まとめ

 「どちらの肩を持つとかはない」と中立を謳いつつ、「筆者が酷かった」という悪評、さらには「私生活においてはさらに酷かったことだろう」という完全なる憶測までをも流布・拡散する記事でした。

 自ら「最終的には(問題に)無関係な話」と書いた話し合い後のDMでのやり取りで「自分が酷いことを言われた」という私怨を論理の補強に用いている点も、筋が通っていないように思います。
 とても感情的、攻撃的な記事であると感じました。


 もう一件、同じく仲介人から一連の記事に言及された記事が公開されたため、後編ではそちらについてコメントします。
 後編は短めです。


後編↓


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