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2021年4月11日放送「風をよむ~橋田壽賀子の世界」

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橋田さん「見て下さる方、普通の方たちと一緒に生きてるみたいな…ちゃんとした言葉を使ってドラマを作る、ちょっと遅れたとか、ちゃとした言葉を使ってドラマを作る、ちょっと遅れたとか、古いとか言われても、そのつもりでいます…」

脚本家の橋田壽賀子さんが4日、亡くなりました。95歳でした。朝の連続テレビ小説「おしん」やドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などの作品で知られた橋田さん。生涯にわたって、市井に生きる名もなき女性や、普通の家族の問題を真正面から描き続けました。

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橋田さんが脚本家としての道を歩み始めたのは、戦後間もない1949年。もともと、キャリアのスタートは映画の脚本でしたが、やがてテレビの世界に転身します。

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橋田さん「映画の全盛時代に映画会社入って10年もまれてきて、テレビへ行った時に馬鹿にされたんですよね。映画の方たちに。それでも、うちのなかで見られる、映画館に行くよりも、茶の間へ入る、ドラマの方が素晴らしいなと思って」

1964年に、TBSの「袋を渡せば」で、テレビデビュー。その橋田さんが手掛け、大きな話題となったのが、1976年放送の、NHKドラマ「となりの芝生」でした。念願のマイホームを手に入れた主人公の家に、夫の母親が同居したことで起きる嫁姑問題が、このドラマのテーマ。

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ところが当時、日本では核家族化が進行。6割近くが核家族世帯という時代に入っており、当初はこのテーマを取り上げることを反対されたといいます。

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橋田さん「『今、核家族でもう嫁姑問題はないんだ』と言われて、いっぺんキャンセルされた、企画が。でも、粘ってましたら書かせてくださる方がNHKにいて。それが凄い当たっちゃった。なんだ、永久に嫁姑の問題はあるんだなと思って…」

さらに、橋田さんが手がけて大きな話題を呼んだのは、やはり家族をテーマにした「ホームドラマ」。1990年スタートしたTBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」。岡倉家の5人姉妹の日常と、それぞれの家庭で起きる問題を描いたドラマです。

渡る世間は鬼ばかり(1990年)
姑「うちじゃ代わりの人を頼んでいるっていうのにさ」嫁「もうしわけありません」
渡る世間は鬼ばかり(1991年)
息子「どうして俺たちだけラーメンなんだよ」母「早く食べなさい」

  
その中で度々繰り返されたのが、家族の対立や喧嘩。橋田さんは…

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橋田さん「それがないと(人間関係は)成長しないんですよね。けんかしないと…」

親子や嫁姑の対立、跡継ぎや相続といった、どの家でも普通に起きる問題が描かれたのです。

街の声①「身近な家庭の問題みたいなのを扱っていたので、もう毎週待ち遠しくて見ました」
街の声②「やっぱり我が家もそうだよね、みたいな、そういうので、人気が
あったんじゃないですか」

さらに、こうした「橋田ドラマ」は、日本にとどまらず、世界の人々の共感を呼んだのです―

先日亡くなった脚本家・橋田壽賀子さんの代表作の一つとなったのが、1983年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「おしん」です。山形の寒村に生まれた主人公の、明治から昭和に至る八十数年の人生を描いたドラマです。橋田さんは、戦前戦後を支えた名もない女性たちの姿を伝えたかった、といいますが、ドラマは海外数十か国で放送され、たちまち評判を呼びます。当時、「おしん」は台湾や中国でも圧倒的なブームに。また、キューバを訪れた日本人観光客は…

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観光客「(日本は)“おしんの国だね”って言われた」

さらに中東のイランでは、視聴率80%を超える人気を博したといいます。そのわけを中東に詳しい専門家は…

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宮田律さん(現代イスラム研究センター理事長)「イランイラク戦争中で、大変苦しい中にあって、20万人のイラン人が亡くなる中で、家族的な結びつきとか、人間の結びつきを大事にするおしんの物語に人々は惹かれたんだと思います」

洋の東西を問わず、時代や社会を背景に、家族のありようを訴え、多くの共感を呼んだ橋田ドラマ。しかし、いまや単身世帯が全体の3割近くを占めるなど、家族の姿もまた大きく変わりつつあります。そうした中、橋田ドラマが問い続けた家族の絆。今、私たちはそれをどう考えたらいいのでしょうか…

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