舞台挨拶レポート『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』(福岡凱旋上映)寺井到 監督・深町健二郎(音楽プロデューサー)さんが登壇!
福岡での開催初日となる4月28日(金)、『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』の上映後に、寺井到 監督・深町 健二郎(音楽プロデューサー)さんが登壇し舞台挨拶を行いました。
本作は、福岡発のロックバンド「シーナ&ロケッツ」のドキュメンタリー。今年1月29日に74歳 で逝去した鮎川誠さ んと、2015年に子宮頸がんで急逝した、妻でありボーカルのシーナ さんとの馴れ初めから始まる人生秘話。
東京会場に次いで福岡限定凱旋上映で公開となった気持ちを聞かれた寺井監督の「東京が先になってしまったけれど、ようやく福岡 に戻ってこれました!」という挨拶から舞台挨拶がスタート。
映画の感想を聞かれた深町さんは、「本当に鮎川さんが生き続け ているかのように感じる。(映画を観れば)こうして会えるし、音楽を聴けば、いつでも彼を感じることができる。そんな素晴らしい ものを残してくれた」と感慨深く語った。
制作きっかけについて寺井監督は、「昔から地元の憧れの大先輩 だったが、RKB毎日放送での番組制作をきっかけに出会った。シー ナさんが急逝した際、ジュークレコードの松本康さんの引き合わせで追悼特集を組んだことで鮎川さんやご家族との ご縁が育まれたが、コロナ禍で鮎川さんが大切にしていたライブが立ち行かなくなった。そんな中で、もう一度、今の鮎川さんの話を聞きたい、取材という名目でも側にいて話を聞きたいなと思い、やりとりを始めたのがきっかけ」 と振り返った。
また、鮎川誠さんがどのようなミュージシャンであったかについて聞かれた深町さんは、「彼はまさに唯一無二の存在感を持っていた。彼の60sロック自伝を改めて読むと、彼の深い造詣や愛情はオタクの域を超えていると感じる」と 評価。そして、福岡の音楽シーンに与えた功績について深町さんは、「中枢が東京に集中している時代にサンハウス (シーナ&ロケッツ結成以前のバンド)が福岡に留まり続けた理由は、自分たちが育った拠点の中で生まれてくる音楽というのを非常に大事にしていたから。だからこそ流行にとらわれない音楽が生まれた。あの考え方やスタイルがなかったら、福岡の音楽シーンがここまで発展しなかったかもしれない」と語った。
最後に、鮎川さんに伝えたい想いを聞かれた寺井監督は、少し間をおきながら、「ご病気が分かっていたのに取材を受けてくれたことにまずはお礼を言いたい。それから、先日鮎川さんの小学校からの同級生に『いま鮎川さんに話し たいことはありますか?』と聞いたところ、『ジョージ・ハリスンとキース・リチャーズどっちがいいか、まこちゃ んと決着がつかんかったんよ』と。うわあ、60年付き合っててまだそういう話をしていたのか……。と、思うと微笑ましいやら素敵やら。あれが鮎川さん。そうやって言い合う友達がずっといたのが鮎川さん。だから、湿っぽくさよならじゃなくて、いつかまたそういう話ができるんじゃないかと思ってます。いなくても、それぞれが好きな音楽を聴いたりシナロケの音楽を聴いていればそういう話ができるんじゃないかなと思います」と想いを込めた。
『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』は、鮎川誠さんの音楽と人生に迫る感動的なドキュメンタリー。日本の音楽シーンに多大な影響を与え、その存在感は色褪せることなく、これからも多くの人々に愛され続けていくことを感じさせる舞台挨拶となった。
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