27日前:衝撃
朝6時。起きたらこのツイートが目に飛び込んできた。
はじめ、意味がわからなかった。2度3度読み返した。そこからはところどころ記憶がない。
子供たちに「母は今日何もできない」と宣言し、寝室に引きこもった。
いい歳した大人だが、涙が止まらなかった。私を支えていたものがフッと消えてなくなった感覚。家族を失った時に似た脱力感だった。
今年は、いろんなことが身に降りかかって、キャパを超えた状態で生きてきた。そんな中コロナ禍が始まって、田畑藤本に出会った。とっても遅いスタートだった。
もともとお笑い好きだったので、大阪の芸人さんは多少知っていたが、東京の若手を観るのはコロナ禍の無観客配信がほぼ初めてだった。
数多くの若手芸人の中で、私はダイタクと田畑藤本にはまった。コロナ禍で仕事がなくなったことも相まって、YouTubeの配信を毎日見て、急速に沼に落ちていった。
田畑藤本さんには感謝しかない。
しんどい夜には都市伝説を見た。長距離運転の出張も、ネタの再生リストがあればなんの苦でもなかった。キャパを超えてパニックになりそうな時は、喝配信の最終日のラスト、2人が桂中学校の同級生に戻って楽しくしゃべっているところをボーっと見て、気持ちを落ち着かせた。
まさかこんなに早く終わるとは思ってもいなかった。おじちゃんの田畑藤本、おじいちゃんの田畑藤本、今でも想像できる。
お二人のピン芸人としての活躍はもちろん応援しているし、楽しみにもしている。でもあの、他のコンビではできない田畑藤本の漫才が見られなくなることは、本当に、本当につらい。
こんなことを書くのは本当に恥ずかしいが、私は小学生の一時期、先生から疎ましがられていた時期がある。今は凡人だが当時は出来が良かったのだろう。先生の態度を見てクラスメイトが真似をしたのか、軽いいじめも受けた。
大人になってからも、集団に馴染むのはいまだに苦手だ。
だから、「正しい言葉遣い」という漫才の中で藤本さんが叫んだ
「我慢してんねん!ずっと気になってるけど、空気読めへんかったら嫌われるから!」
は刺さった。
こんな漫才してくれる人、他にはいない。
田畑藤本さんの漫才は、知的なカタルシスを与えてくれる。「童話」にしろ「やりたい事」にしろ、一般人にはわからない専門用語と中学までの理科の知識でカバーできる用語を巧みに組み合わせて、漫才を見ながら学生時代の風景が思い浮かぶような、他の漫才では得られない快感がある。
これをこれから誰が見せてくれるというのだろう。
人の決めたことに口を出す権利なんてないこともわかっているけど、今回だけはまだおだやかに受け止められない。
田畑藤本さんに、漫才をやめないでほしいのだ。
僭越ながら公開しました。