家ダンッシュ日記1
ある時から缶ビールを毎日飲んでいる気がして、2月に辞めた。
足の手術にあたり酒を飲めなくなるとわかっていたからである。
一気に呑むより少しでも毎日呑むのはダメだと知っている。
どっちも悪いが結局休む暇がないのはダメなのである。
そんなのに手術から回帰してアルコール許可が降りてから、舞台の本番前後以外はお疲れちビール🍺と称して、ほぼ毎日缶ビールを1.2本飲んでいたと思う。
たまに飲んでないのに酒の味がする気がして飲まない日を作るような感じになっていた。
先日急に、人のことより自分のことちゃんとしないとやばいぞと思いたち家にアルコール飲料を持ち込むことを断じることにすればいいのだ、と思い立った。
その日は気持ちも上がらずパフォーマンスも悪く、前日は三缶程度のビールと酎ハイを飲んでいたがそれすら残り続けているような気分であった。
またこの感じ、と繰り返していることを思い出す。
でも今日から呑まない、と決めてそんなことができるのか自信がない。
そこで考えた。最高の気分で酔っ払うわけでもないアルコールに使うお金、酔ったことによっていろんな選択肢の減る時間、飲んでもないのに氷結の味のする口内、日にはよるがたまに訪れてしまう朦朧した朝。
なんて勿体がないのだ。
勿体ないというのはモノを捨てられない私、我が一家にとってある種禁句ではあるが、この場合の勿体なさはまちがいのない勿体ないであると思えた。
なんなら繰り返しているのだから、何年もの時間をこうして蒸発させてきているのかもしれない。
帰り道に今日のなんだかなぁをビールに溶かして飲んで、帰って排泄して、流れ切ってなければまたビールに溶かして、それでも流れてなければ無糖の氷結に溶かして床に着く。
翌朝流れていないのかアルコールの怠さなのかあやふやなまま1日が始まる。
もちろん、ビールに溶けて今日も最高!という気分のときもある。
しかしならばビールでなくてもよいのではないか?という考えに及んだ、及ぶことができた、のである。
昨夜まで試行錯誤してやっと昨日口火を切った。むしろ口を閉じた。わけで、昨日はスーパーマーケットでも酒コーナーにすら立ち寄らず、コンビニにも寄らず帰宅できた。
しかしなにやら氷結の味がしていた。
そもそも酒に弱い。赤くなるし眠くなるし飲み過ぎれば具合も悪くなる。
つまり体に合っていない。
友人が、酒の席は好きだが味は嫌いだから飲まないと言っていたが、私は酒の席はまあそれ相応、味は大好き(特にビール)だがなにせ体に合わない。
それも合わせて考えたらますます、不毛な毒素摂取だ。
呑まないで一日をおえようとしているときに、まだ身体に氷結のウォッカを感じていた。すごい影響力。
おそらくだが、私の肝臓にはウォッカなど分解できないのだ。虚弱なアルコール体質なのだ。
いつまで続くかわからない、が10月からと思ってたら失敗していただろうので昨日急にスタートを切れてよかった。
何日続くかわからないがとりあえず缶を捨てる面倒も減るのでなるたけ続けたいと願っている。
店で、特に友人と一緒なら呑んでいいことにしている。まあ一人でもいい。味わい嗜む程度にしていきたい。
何年もやってきていることにおいて、何者にもなれていないことにショックを受けた昨日だったが、何でもない時間を保ち始めれたことにはありがたさも喜びも感じている。
今日のこともまた日記を書こう。
記すことも続ける理由になるし。
ポイントは
だと、当面は思いながらやっていくら、
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