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「スペースインベーダー」


「ドゥッ、トゥ、ドゥッ、トゥ、ピッキューン」

1979年 1月 あの時の事は今でも鮮明に思い出せる。
生まれてはじめて感じた興奮、いや、あれは快感だったかもしれない。
当時、3歳だった私は家族親族と共にとある温泉旅館に来ていた。
とても古臭い匂い、ギシギシときしみ音を立てる廊下、窓から見える庭園の木々にはうっすらと雪が積っていた。
両親と祖父母らが新年の挨拶で集まるその集会はそれから数年後には開催されなくなる。
祖父の事業が暗礁に乗り上げ地元に撤退を余儀なくされたからだ。
部屋で瓶ビールをいやいやいや、どもども、おっとっととグラスにつぎあっている父と祖父。
その笑顔からそんな未来は予想すらできなかった。
母と祖母に連れられて温泉に入っていた私は完全にのぼせていた。
指先の指紋も脳ミソのシワもぐにゃぐにゃにふやけて視界もかなりぼやけていた。
軽いトリップ状態の私は視力0.1まで低下し若干歪んだ視界の中、祖母に手をひかれ大浴場から移動していた。
プチ宴会の開かれている広間を通過して宿泊中の松の間に戻る途中、それはなんの前触れもなくやってきた。
それはすごい勢いで、何の防壁も形成されていない無防備な幼い私の鼓膜を震わせた。
電気ショックが走ったようなビリビリが体中を駆け巡る。
容赦のない音の波は鼓膜から電気信号に変換されシナプスを巡り脳へ情報を伝える。
一瞬何が起きたのか理解できずそのあまりの衝撃に全身の筋肉は活動を止め私の電源はショートを起こして止まった。
時間にして僅か数秒にしか満たないその瞬間貧血のような感覚に襲われ祖母の心配を誘った。
3歳の時の記憶だ。
誇張されているかもしれない。
だが今はっきりと私の記憶に残っているそれは私の中では真実であり、その記憶は45年間変わらずに私の海馬に存在している。

「ドゥッ、トゥ、ドゥッ、トゥ、ピッキューン、ポピュゥピ」

音は空気の振動である。
楽器や声、スピーカーから発せられる音は全て空気の振動だ。
空気の振動なので途中に障害物があれば減衰され吸収され消滅する。
しかしあの時のあの場所で聞いたあの空気の振動は全ての障害物を貫通しスピーカーからダイレクトに私の鼓膜を共鳴させた。
遊技場、そう書かれた入口の奥、どうやらその音はそちらから飛んできてるようだった。
遊技場の中には他にも音を出すものは多く、卓球台でキャッキャとはしゃぐ浴衣のカップルやガチャガチャとうるさいピンボール台、甘いフルーツ味の炭酸飲料専用自販機などが設置され、半裸のおっさんがマッサージ椅子に座って全身を震わせていた。
半分白目でヨダレを垂らし、浴衣がはだけチ○コがコンニチワしていたおっさんにも衝撃を受けたが、それよりもさっきから脳みそを掻き回して止むことの無い音の発信源を私は知りたくてしかたがなかった。
さっきまで意識もうろうとして祖母に半分支えられながら手をひかれ歩いていた私は逆に祖母を引きずっていくほどの勢いで祖母の手を強く引き遊技場の奥から鳴る音の正体へと向かった。
近づくほどに更に強烈に響くその音は遊技場の隅に置かれた2台のテーブルから発せられているようだった。
そのテーブル右側の1台には浴衣の男が椅子に座ってテーブルから発せられる光を眺めながら手をこちょこちょと動かしていた。

「ビヨビヨビヨビヨ、ピッキューン、ブッフーーーン」

あーくそっ!そう言うと男は悔しそうにテーブルを何度か叩いてから渋々と立ち上がった。
するとさっきまで私の耳を脳を感情を支配していた音の波は消えてなくなり卓球台でキャッキャするカップルの声と全く続かないラリーの不協和音だけが遊技場に鳴り響いていた。
迫り来る恐怖から解放されたような安堵の気持ちと、どこか虚しく寂しい虚無のような感情が残った。
それは次第に麻薬中毒者の離脱症状のような渇望に変わった。
もっと、もっとさっきの音を聞きたい。
さっきまで私の全身を駆け巡り脳をグチヤグチャにかき回していた音に包まれたい。
そんな感情が心いっぱいに埋め尽くされたとき私は祖母の手をぎゅっと強く握ってブルブル震えていた。
まるで強い相手を前に武者震いするかのように。
あれをやりたいのかい?
祖母はそんな私の気持ちを感じ取ったのかそう聞いてきた。
3歳児が手を強く握り返しブルブルと震えていたら恐怖に怯えていると思うのが普通かと思うが祖母はそう聞いてきたのだ。
流石は私の祖母であると思ったが、亡くなる前に当時のことを聞いた時、私の目がまるで宇宙に煌めく銀河の星の如く輝き、まっすぐにそのテーブルを見つめていたからと、嬉しそうに遠くを眺めるような目で話してくれた。
うん!祖母の問いに声を出さずに大きく頷く私を祖母はテーブルの前にあったワインレッドの椅子に座らせてくれた。
そして1000円を入れるといきなり10枚の100円玉がいっぺんにドチャッと落ちてくる両替機でお金をくずしてくると、テーブルの正面右端にあるコインシューターに100円玉を1枚ゆっくりと優しく投入してくれた。

「カリッ、コロコロカチ、ヒューン、ドチャ」

側面のギザギザを入口でこすりシューターをコロコロと転がって針金のヒゲを100円玉が押し下げるとテーブルの中にあるモニターはデモからスタート画面に遷移する。
筐体内のコインボックスの中に貯まった100円玉の群れに投入した100円玉が合流した音が聞こえた。
その瞬間、私は真っ暗な宇宙の中に放り込まれ3色の凶悪で冷酷で愛らしいエイリアンから地球を守る防衛軍の自走式対空砲台へと乗り込んでいた。
そう、今地球の命運は齢3歳の私の手に委ねられたのだ。
世界を救う為に選ばれたヒーロー。
私はテーブルの画面をやる気に満ちた目で見つめた。

「ドゥッ、トゥ、ドゥッ、トゥ」

恐ろしいエイリアンが迫り来る恐怖を表現した行進曲。
ゆっくりと音階を踏み1歩ずつ確実に歩みを進める。
じわじわと押し寄せる音の波。
そのスローテンポだが野太い電子音は鼓膜を震わせ小さな脳を振るわせた。アドレナリンやエンドルフィン、脳内で生成される興奮物質の全てが蛇口MAXで開かれ、ダムの放流の如く脳内を満たした。
信じられないほどの興奮と快感が私の全身を駆け巡る。
その様子は最高級ダイヤモンドの様にキラキラと輝く目と腹を空かせた猛獣の荒ぶる息のような鼻息で見てとれた。

「ブッフーーーン」

レバーで攻撃を回避するどころかボタンでミサイルを発射する事すら理解できてなかった私に容赦のないエイリアンの猛攻。
私はエイリアンからの侵略に為す術も無かった。
無抵抗な私に対しブラウン管モニターの中で3色に彩られたエイリアン達は容赦なく残酷に襲いかかる。
手も足もミサイルも出ない。
操縦方法もわからない齢3歳児のパイロット。
当然の結果である。
だが私が手も足も出なかった理由は他にもあった。
それは、エイリアン達が移動するたびに奏られる行進曲に私が心奪われていたからだった。
ピカッと光った稲妻の閃光よりもそのあとにやってくる轟音に恐怖した時の感情。
それに近い感情が私の心を貪り恐怖させた。
カラフルに光り輝くエイリアン達から発せられるエレクトリック行進曲。
地球の前に私は心を侵略されていたのかもしれない。
いやされていた。
地球代表として選ばれる以前から。
興奮と快楽の狭間でその音に溺れていた。
齢3歳の私にその音に抗う術は最初から無かったのだ。
完敗だ。
人類は選択を誤った。
即ちそれは人類滅亡へのプレリュード。
しかしこのほんの数分の激闘は私にとって忘れることの出来ない未知との遭遇だった。
全人類には本当に申し訳ないが、私にとってこれから先の求める方向性が決まった瞬間でもある。
人生と云う名のレールが薄っすらと、しかし確実に敷かれた記念日。決して誰かに強制的に敷かれたレールでは無い。
自らの意思を持って選択した道への最初の1歩なのだ。
この未知との遭遇は、私のこれから始まる長く永いゲームSE物語のプロローグである。

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