自分の役割について考える。

気絶したように12時間寝た。
起きたら14時で、おかしいなこれも夢?
となる昼を迎え、現在17:45。

お手伝い先の古本屋で店番をしながら
これを書いています。(働け)

私はこの店ができて嬉しい。
大人だって好きなことして楽しく
生きていきたいじゃない!っていう事が
形になっていて嬉しい。

そんな人が身近に居る事が嬉しい。
これはお世辞ではなく本音だ。


「疲れた、大変だ、嫌だ」

これはわたしも間を埋めるために
口に出してしまう言葉だけど、
あんまり言いたくない言葉だなと思う。

疲れて大変で嫌なことからは
残念ながらきっと避けられない。

もうそれはしょうがないから、
じゃあどうしようか?という自分でいたいし、
でないと乗り切れない。

私は確実に
マイナスを力に変えられるタイプではない。

ならそんなことばかりの環境からは
徹底的に身を引こう。
疲れた顔をした人や、楽しそうではない人の周りには極力居ないようにしよう。

だってそんなところにいたら、
大変ですねとか、そうですよねとか、

分かりますーとか、
同調しなければならない空気だし、
それをしちゃう自分にも疲れてしまう。

だから今の環境が本当にありがたい。
ここで私は何ができるのか?
今関わっている人たちみんなに
何ができるのか?

今年1年は徹底的に自分の強みとか
自分が出来ることとかについて
考えていきたいなあと思う。

それがわかればあとはどしどし
外に放出していくだけだーい!!

カツセマサヒコさんが言っていた。
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20180108-38567934-netallicaq
(以下引用)

僕は勉強が大嫌いだった。授業を最後まで集中して聞くなんて絶対に無理で、いつもノートの端に落書きしたり、机の下にマンガを忍ばせたり、2メートル先のクラスメイトにメールを飛ばして遊んだりしている劣等生だった。もちろん成績も良くない。

そんな退屈な授業を朝から夕方まで受けて、よくもまあ耐えていられるなと僕は学生に会う度思う。インプットだらけで発散する場所もないし、自分がどのくらい社会に通用するかなんて、筆記試験でしか試す手段もない。そんなの、つまらなくない? と。

僕が大人(というか社会人)になって何が一番うれしかったかというと、大人はインプットよりもアウトプットを求められる機会のほうが断然多いということだ。

僕はたぶん、学生があんまり向いていなかった。机に座ってひたすら情報を入れるあの時間が苦痛だったから。それがなくなり、代わりにずっと自分のパフォーマンスを発揮し続けなければならない世界に行って、そこで初めて「ああ、しんどいけど、学生時代よりは楽しいな」と思えた。

✳︎ ✳︎

これはかなり腑に落ちた。
そうだそうだ、本当にそれだ。

今後が例えしんどくなっても、
私はわたしのこと全部を自分で選べるし、
それを楽しんだり苦しんだりする権利も
ぜーんぶ自分で持っている。

やってやりましょう。
誰に何を言われても
自分の好きな人たちだけは信じて
時に自分を疑って
やわらかくやわらかく生きて生きましょう。

若い人のことを否定せず
何を考えているのか教えてもらって
年上の人のことを否定せず
あの時のことを教えてもらって

それが必要かどうかだけ自分で決めて
どんどん楽しんでいきましょう。


そう考えたらワクワクしかしない。
誰に会うのも怖くないし
最高じゃあないですか。

ヤバいと思ったら
関わらなければいいだけだし

中をのぞいてみないと分からない事が多いし。

よっしゃああああー!
今日もがんばるぞーい!!

おーすーしー!おすしーおすしーおすしー🍣!!