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7/6〜 砂漠

何年後か知らないけれど、いつか描きたい小説が書ける。不要な考えがぱって窓から逃げて、ドラッグみたいに白い霧になる。空が黒から水色になるから、そわそわして性器を二回触る。降り落ちたあれは、今も表面を洗い、中身をあやしている。私は二本の足で全然立っていた。シンプルすぎて、何かダミーな有様。私が欲しいものは静けさだった。木にある爪痕がすーっと伸びて体内よりもずっと深いところで受精した。ありがたい限り。ゴキブリが部屋に入ってきたり、私の周りを飛んでいる蚊だったり、私の下にあるベッドとか、体験するためにこの世にいるのはみんな同じで、スケールの拙さに晴れてゆく空が視界の中だけでなく、おーきな全てを侵食してゆくビタミンのように思えた。カーテンが薄く、部屋を公開している。ただ体験していて、それを一心に受け止める静けさが、この雨。駐輪場へ足を運ぶ人々の横目に私の半裸があり、私の自転車はなぜか行方不明で、仕事は過多で、海に入れば体験。過去の望みを塗り替えるほどの静けさ。瞼が落ちる。横線が伸びてしばらくして縦線が入る。揺れながら気持ち良い位置に弄り届く。つー、と生活の背景でずっと微かに流れているような音で体の内側の鼓膜が震え、暗いのか明るいのかどちらにも張り切ることがない色で満たされた空間は、あるでもなくないでもなく、どんどん静かで無意味な方へ引っ張られてゆく。摩擦もスムーズもない。タイヤが回るのは、タイヤが回りたいからで、鏡が私を映すのもそうで、体を縛るネットみたいな光は、体の複雑性を吸い込みながら離れ、私を見守り漂う。縁取られた池は滲み、街は浸水。反響しながら音はシンプルに、重なりに吸い込まれてゆく。色鮮やかな意思が上手に畳み込まれた場所で、その鮮やかさをただ体験してゆくカワウソ。眠気と痺れ、夢が現実になるチャンネル。狙った体験をどこまで実現できるのかのゲームが手のピラよりもずっと広いところで行われている。日記のような詩を始めた。雨のように健康で蕎麦がじっと私を見つめてきているみたいである。草木のそろそろした気が、今も体内ではためいていて、輪郭を保つのがやっとである。である........である。らら、体温がさーをして、畳。水面が天井にあり、ずっと綺麗。感謝よりもずっと感覚に近い言葉は音にならないで、私の周囲に染みつき続け、汚れのように輝いている。目には見えないものの重さが日に日に視界を超えて、考えてわからないことが全身でわかる。私は「」になる。見落としていた物が全部並んで私の前に現れて、私はひとつひとつ丁寧に抱きしめて、思考も思想もない。感覚が書くような言葉が沢山の人から好かれたくて歩いている。

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