待つ

黒い箱がある。外からは何も見えない、開けることもできない、表面は滑らかで、平坦な場所にしか置かれない、街のあらゆる所にある、金持ちの家にも貧乏の家にも平等に、中で何が起きてるのかわからない、物音もない、静かで、よくできた家電みたい、用途も意味も目的も、道具みたいな雰囲気を出しながらわからしてくれない、嫌いでも好きでもなく、ただ苦手だった。
家の外で、スロウスロウと掛け声がする、何かが速いのだろう。窓を開けると、人が大勢集まり、何もない空間に向かって叫んでいる、何かが速かった痕跡も、速いものもない。この連なる家に挟まれた大通りは、いつも人以外通らない。窓枠に置いた手が蠢き、指先から脈を飛び出させる。蝶みたいに飛び交いながら窓枠に絡みつき、何かに向かって叫んでいる人間たちの声が大きさや音程とかではなく、何か基準のないボリュームで激しくなる。私は異常なほどに焦りがない、お腹を鳴らす。お腹が鳴ったからパンを食べようと台所へ戻ろうとした。すると手が離れない、ガッという音がして、一斉に人間たちが私の方を向く。人間たちの目には、宇宙が映っていて、星々の光を木漏れ日みたいにこちらに向けている。近づいてくるだろうと思うと近づいてきた、退屈な空が低くなりながら雲は広がってゆく。空間全体が包み込まれているようだった、その時黒い箱のことを思い出した。いつも見ている至るところにある黒い箱のこと。そのどれもがこの世界だと思った。脈は人間たちの体や大きな空間まで覆い、ミチミチという音を立てて止まらせる。心臓が動いているが、私のではない。私は何も所有していない、観察しているだけ、あの黒い箱を眺めているだけ。脈は激しくなる、心臓好みに調律される。脈が重なり肌のようになった世界が鬱血してくる。全くの黒色になるのだと思う。私はこのまま黒い箱になるのだろう。何が出るのかわからない。私はこのまま染まりながら、その経過を観察してゆくだけの目、主体性はいつも機械。寒いも暑いもなくなってくる、自他の区別もなくなってくる。パンが食べたかったなぁ、と口ではない穴から出して、自分の体がもう、以前のものではないことだけが暗闇の中でわかる。焼かれたパンの匂いが消えて、初めてあの匂いに包まれていたことを知って、寂しくなったけど、もうこの体は涙を流す機能はなくて、ただ鼓動している。

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