電車で肩を枕にした

心は何かを求めるのではなく何かを経由したがっているのだとして私はその経由部分になりたいと、雲と空の輪郭を目でなぞりながら思った。電車で視点は変わらないまま視界は流れ、映画を見ているような気分になりつつ、これをわざわざカメラに収めて伝える意味、日常の些細なものを客観的なところに置く意味、機会こそが機会であった。循環しようとして循環してるわけではないのだけど、循環しようとして循環させたら命は緩やかに熱くなるし、循環しよう意識をどこにも収めない日々は、圧力のままに淀み果てて、植物の泣き顔を見ることになる。トンネルに入ると窓は鏡になり私がうつった、暗闇の向こうではたしかに時空が流れているが、私は止まり、止まっているだけなのだけど淀んでいるように見えてそれに気づいた顔は気づけた顔で、以前よりも循環した顔をしているのだった。明大前に止まり、座るところが空いたので足の休まりに休まった。血液が体内で蠢きながら流れているのを足裏のじんじんから込み上がるもののうちに感じて、駅を見た、灰色に黄色い線がかかっていて、その線が妙に何かを遠ざけたもののように感じた。いろいろな音がごった返して耳に入ると景色が生き物みたいに窓から飛び込んできて、私は繰り返されたのだと思った。どんよりとむんむんとした空気が立ち込めるなかですずらんのような首をして立っている人、それはそれぞれの未来でありながら人類の未来だとして私は怖がる、この電車には切実さが溢れ、その切実さを切実だとして受け入れない作為の心持ちさえ切実であり、それをひるがえすものたちと、私は戦わなくてはならなかった。私の脳裏にはまだあの黄色い線が続き視界にまで及んでいた。灰色の人間のインフラと緑と青の地球のインフラが曖昧に流れ互いに混ざろうとする間にくっきりと黄色い線が隔たっていた。私は忘れられている、と思った。忘れられているから、淀んでいて、隠しているゆえに隠れられて、見られたくないゆえに見たくなり、心は思い通りではなく不意に純粋で、私はどこに行きたいのだろう、この電車はどこに向かっているのだろう、迷いのない循環が、約束が欲しかった。意図が読めないことばかりで意図を差し出すことさえできないで、私の中には誰かがたまりにたまり喧嘩しているのにかかわらず、私に仲裁する気力がないのは意図したものではなかった。どんなに意図していても意図したものではなかったのだった。右の肩が重くなった。隣で私のではない足を私のではない形で休めているものが私の肩に頭を乗せたのだった。私は約束だ、と思った。今、約束を交わしたのだと思った。意図したものではないけれど意図したもので、誰かたちは壁の中で窓を見ていた。トンネルは窓を鏡に変えて私は私の顔ではなく、私の右肩に乗った顔を見た。重みや流動性から循環を感じるゆえにそれが女であることは理解していたが、その理解から見た女の顔は目の閉じ方から鼻の曲線までどこもかしこも完璧で、私の肩などに顔を落とすくらいだからその完璧さを自覚してもいないのだろう。私は足のしびれがからだのいたるところから外ヘと吐き出されていることに気づいた、大気と肉体が循環しているのだ。何か引っかかりを感じて私の肩に顔を乗せた女を見たとき、同じだと感じた、私が私の肩に顔を乗せている以外の解釈が浮かばなかった。息が詰まりはっとしたとき、私の肩に顔を乗せた私は目を開け始めて、顔を乗せられた私は目を閉じ始めた。私は私の瞼が切り替わる瞬間、瞬間を何度も瞬間に分けた。意図せぬままに狭まり光が閉ざされていく瞬間は意図して光を入れるはずの視界に思いを馳せる瞬間だった。電車の音が変わり鏡は景色に変わったのだと鼓膜でわかり、どっと車内までも循環している装いを皮膚で感じ、くらみのなか私は私に見られている。私は雑多な情報からひとりだと帰納していた。電車が止まり新宿についた。私はなにごともなかった気で電車を降りてなにごともなかった気で階段を登っていって、途中で、ふと立ち止まった。背後から私を恨む気配を感じた、ここで止まるだけで邪魔ものになれるのだ。私はあの黄色い線になれた気がして、あの黄色い線をお前らの目の前に差し出したかったのだとわかった。何かからの抑圧を振り切るために振り返ると、私の左肩を通り過ぎる女がいて、それは私の隣に座り私の右肩に顔を乗せていた女で、それなのに周りのものたちと均等な力量で私を睨んでいた。女は疲れていて、その疲れを取るために今までどれだけの肩を借りたのか、私は選ばれたのではなく、ただそこにいただけだった。それを思い出すための黄色い線、私はどこにもおらず誰にも観測なんてされていない、黄色い線ゆえに循環しているのだった。

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