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8/28・29

ムドラーのフレームができたので、今までの本とかの大事な所のメモ、全部、適所に移動させようかとやってるけど、凄い量で凄い張り詰めてて、あらら〜、となってる。当時の苦しさが垣間見えて、ありがとうという雰囲気。まとめると時間がかかるので移動させてゆっくりやっていく。いくら知識をつけても、身体が出来てないと幸福はないと悟って方向転換した、その前の自分。ヨガを見つけて、その中に目標を見つけて、この自己防衛的な知識の膨張に終止符が打たれたみたい。習慣、身になることを重視した。荷揚げ屋が精神的にも肉体的にも苦しくて、ムドラー作りが捗った。あらゆるおかげ。結果悟るには、無意思になること、目的思考とかそういう物を抜くことが大事になるので、ヨガの中で見つけた目標とか、今までの野心みたいな目標は、ただの習慣作りの基盤として残った。ただ決められたことをして、喜ぶ人になってきた。だから、あらゆる価値がどんどん薄くなっていく。昼夜逆転も自然と治ったし、ご飯も玄米と納豆ばかり、それで何のストレスもない。まだ自分の心に暗さは残るけれど、この静けさを保つと、その暗さと向き合う必要があったから、下手に騒いでいた、考えて、派手に生きようとしていたのだと思った。この暗さと向き合い、その奥にある光を広げていく、すると自然な明るさ、自分本来の人間性が出てくると思った。この経過まで、美しい成り行きだったのだろうし、価値がないとはいえ、振幅がゼロではないから、今までの目標とか野心が反映された習慣が作られたことには、悦びがある。ただムドラーを公開するのは、まだまだ難しい。外に残る記録が無いというのは、あまりにコミュニケーションがないので、部分部分の知恵はまとめて出す構想がある。成り行きで、ただするだけ。いつも忘れてしまうけど、顔がじんじんする立ちくらみがある。なぜかこれがあることを忘れる。起こった時に、そういえばこれか、となる。これが起こる時は何か転機があるような、そうでもないような。自分の武器になりそうなもの、現代美術系のユーモア、ピンネタ、あとムドラー。これくらいしかない。3Dよりも、まずは漫画をちゃんとすべきと思う。小説とも接点がある。小説はコツコツやって、老後で芽が出たら良いかな、と思ってたけど、色々と熟してきてるので、クリスタを買ってやるべきだと思う。3Dでも絵の技術が結局いる。MAYAはひとまず遠慮だ。ウーバーが思いのほか稼げたから嬉しい。朝から昼は、作業に集中して、脳が疲れ切った時にウーバーをやる、暮らしで超捗りそう。明日弁護士と話してってのもあるが、色々支出を整理したけど案外余裕で生きていける感じが出てきた。月20万もあれば余裕で暮らせる。そこから足していく感じで、漫画アシスタントとか自分が売れて稼ぐのとか、やろうと思う。まるで監視されてるかのように生きてる。欲求は自分を破滅させないものであれば、大きくあればあるほど良く、これは身体的なことなので、霊魂はそれを眺めるだけ。価値が消えてきて行動が一人歩きしている自分の状態に似てる。やっぱり目先の安定よりも、未来に希望を抱く方が身体はわくわくして動く。未来での安定の方が更なる安定なので合理的でもある。お爺ちゃんでウーバーしてる人いて、強そうだった。老いに勝つことが、目的になってんだな、と思った。それが無益に生きてる、ただ体験を収集するために、与えられた目標を目指したり、試練を乗り越えようとしてる、風に感じる。別の道に入っても、結局それがあるから、諦めて腹を括る感じ。自殺しても来世があるし、ずっと精神修行をさせられるという仮想かもしれない考えは、現実でも十分に起きてる。自分を高める過酷な環境で生きるほどに、心は闊達になる。世渡り上手的な、過酷さが、まだ苦手なので、ウーバーは1人で、ウーバーイーツです!と商品IDとありがとうございました!しか基本言わないので、助かる。自分を破滅に向かわせる過酷さもある、自分にとって社会が大体そういう風に感じる。だから狭い所、奇跡的にハマってる場所、そういう場所で生きたい。腹を括るというのは、そういう意味で上手く生きることっぽい。宮崎駿が今回の映画のテーマで世渡り上手がどんどんできなくなってるて言ってた。生きる為には、好きでない人と関わっていかなくてはいけなかったけど、今は好きでない人からは離れて好きな人といる。インターネットの姿だけど。いじめられてる子が、別の世界で輝くことはあるから、インターネットを肯定する考えもある。ただ、僕はこの社会自体が関わりたくないものに感じるので、世渡り上手は絶対に必要になる。バランスとその二分の理解があると良いと思う。あとは目、人間の表面的な所を見ると社会が見える、今の社会の物質的な状態、地球を破滅に追いやる発達をしている状態、それでも話題を変えるなりして、深い所を見ると、子供の頃から培ってきた個性があったり、人間同士だったり、生命同士だったり、わからなかったりする。そういうスキルが磨かれれば、ハマってる場所はどんどん広がる。お笑いで賞レースとかで優勝するのは、何かこの広がりの成果を見せるというか、範囲を戦ってる風にも思える。だからユーモアは好き。太宰が怯えて、人間が怖くて、ユーモアを鍛えたという感じで書いてたから、自分と重ねて好きになった。これは一種、自分を破滅に追いやる環境を愛する、求めるという誘惑がある。肯定されて、涙を流しているだけでは足りなかった。だから賛否両論がある、三島由紀夫は嫌った。これに足りないのは、過去だから美しいという理解だと思う。未来は、自分を高めていく過酷な環境に生きなくてはならない。その指針まで、物語の中で与えていなかったから、読者が補う必要がある。内省のために書くことが少なくなってきたので、これからどんどん無理やり書くことになるでしょう。

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