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理屈は抜いて、善いのだから善いの心の重力。腹に海底に沈むようなおもり。口と喉を通すのは、祈りだけ。慢心やポジションは抜いて、置く、世界の記憶に残す。感じたことを感じたまま、こんな風な世界の方が善いというイメージで。肩の力を抜いて、自然に他力で、神様に縋って生きる。

例えば欲しいものが手に入る時、欲しいものを得た喜びは瞬間的ではなく立場的。手に入れているから手に入る。いつのまにか身体に入ってることを実感する。善いのだから善い。満ち足りていながら何かを得ようと鍛錬すること。言葉にすると矛盾しているが、神の世界では当たり前なこと、よくある。火と水の修行。どちらもあるから湯気が増える。欲求ではなく、氣で動く。この言葉が出なかった。

私は作用、反応。鏡を見るという行為、写った物を自分と判断する作用、これらの全てが自分で、ここからも分離できる。見るものと見られるもの、その間に心がある。心は作用を自分と認識する物、それ自体。心と、純粋な鑑賞者であるアートマンを同一視しないこと。心を切り離すこと、カイヴァリャ。それが真我だということはわかった。プルシャ。見る物と見られる物を意識し、心が自分だと観察する行為が現実に糸一本繋げてるとしたら、プルシャの独存は完全に死の世界。これは究極の安心の中にしか作れないと思う。

人を助けることとは何だと思う。恋がなければ、愛はないとそう思う。辛い経験をして、そこに執着をするから、辛い人を助けようと考える。依存し合う糸が大きく、依存し合うことを促す作用も大きいと、恋になる。男女の心の違いを埋めようと、恋をした相手に愛がうまれる。恋は、依存し合うこと、執着をすること、気づくこと。スケールを深めれば、宇宙全体が依存し合い、表と裏があるから成り立つことに気づく。宇宙のあらゆるものと依存し合っていることに気づけば、何にでも恋になる。執着を高める傾向は、その気づきを求めてるから生まれてるように思う。愛は生命を助けること。愛にも種類がある。食事や寝床や掃除など相手の生命を助けること。相手の無知を気づかせ、自律を促すこと。相手の過ちを受け入れて忘れること。ゆっくり時間をかけること。見守ること。自らの氣を高めて与えることや循環すること。これは近接的な愛。自然の営みの中で行う物であり、自然な意味で、大切な物を限定することでもある。間接的なものもある。これは自然ではなく学、人間にしかできない力。宇宙のバランスを保つために、不幸の掃除を請け負うこと。不幸の掃除をしている人を、エネルギーや物理的な発明や芸術によって助けること。瞑想により時空間旅行をしてサットヴァなエネルギーを送ること。地球の環境を守ること。近接的な愛の範囲を高めること。自らが1人で生きていないと気づくこと。お金は、恋のない相手に愛を与えるように仕向ける仕組みともいえるし、大切な物の器量を大きくする仕組みとも言える。やらされてる仕事は迷いを生む。器量を大きくしようとチームの人を増やしても、賛同者ではないと偽善になる。賛同者が集まらないから、お金の不安で支配し、労働力にする。職業やキャリアで支配する。1人で行い、賛同者が集まり、全体で持続的な機関として成立するからこそ、良い仕事と言える。

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