駅から家

駅から家、言い換えれば家から駅だけど、その道のりの素晴らしさは、地球と太陽の距離を浅はかに思わせるもので、命や歴史の尊さみたいな宇宙みたいに大きくて重いものがまとわりついてくるのをすり抜けるような雰囲気で、歩いていると本当に家に帰れるのか、駅につくのか、と不安になり、それが日常の問題とは全く違う大きなものと対峙しているようで、楽しくなる。この道のりの情景は、地面を覆い尽くすコンクリートと等間隔に並ぶ街灯と電柱とカーブミラーと私の古く寂れたアパートとは似ても似つかない経済の暴力を思わせる家々から漏れる草木と太い一本線みたいに見えるその時時の空だけがある代わり映えのしないもので、本当に単なる道のりで、私はその美しさに気づくのに1年ほど時間がかかった。この道のりの美しさに気づいた私は、そこを通り掛かる人を見ると彼らにもこの道の感じ方があるのだろうと思って、思い思いのものを見せてくれと思って、私の方から誘うように、歩調を変えて千鳥歩きみたいになったりスキップしたり、気が狂ったように上を見上げたり壁にぶつかったり、座り込んだり、2リットルのペットボトルを口に咥えて水を飲みながら歩いたり、カーブミラーに映る自分に会釈したり、脇に生えた草木を食べたり、通り掛かる車を過剰なくらいに怖がったり、草木を伝う虫たちの生涯に思いを馳せたり、目を異常なほど見開いたり、焦点が定まらなくなるほど深呼吸をして死にそうになってみたり、昔を思い出して泣き出してみたり、敢えて家を通り過ぎてみたり、走り去ってみたり、敢えて駅を通り過ぎてしまったり、白痴みたいに笑ってみたりしているが、彼らの私なんて気にもとめずに前だけを見て速歩きで凄い様子を見てしまうと、私は誘っていたのではなく見せつけていたかのように感じて、少し恥ずかしくって、手に持っていたピンクの傘をさしてしまうことがある。雨が降っていなくても、日が強くなくても、誰がいようといまいと、ピンクの傘をさして、そうなると、線路沿いを歩き始めたりしてしまう。それは駅から家、家から駅の道のりよりも汚らしくて下品で、屑の道という感じで、一歩一歩ぐしょりと音が聞こえるようで、苦しい。電車が通り過ぎる音も踏切の音も駅に向かう人や駅から出てきた人の話し声も耳障りで、よくここまで汚い音を作れるなと神様もびっくりな様子で、それでもその道しか私は歩くことが出来ずに、私はただ私の道を卑下しているだけで、ああ、ああ、と道の脇におしっこをしたりしてしまう。そして電車に左腕を引かせたとき、ピンクの傘をコンビニの傘置きに入れることができて、やっと駅から家、家から駅の道のりに戻ることができて、また楽しい気持ちになる。だがその時もう線路沿いの道を覚えてなんていなくて、また日常とは違う大きな問題をうわあああなんて奇声を上げながら楽しんでいる。だから、それを知ってしまった今では、何もかもすごい息苦しくて、いや、むしろ楽すぎて退屈で、何か違うことを始めてみようと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?