ニキビ

耳たぶにニキビが出来たことがありますか?私はある。ピアスなんてゾッとした。私は一生ピアスを開けられないだろう。耳たぶを触ると耳たぶの中にたしかにコリコリした、鳥の軟骨みたいな、そんな厭らしいものがあるのが分かって、少し痛みを感じて、ああ、これはニキビだなぁ、と思うのだ。
しかし分からないことが多い。ニキビが、耳たぶにあるというより、耳たぶまでニキビが侵食したと表現した方が正しいと思えるほど、私はニキビが顔や背中にくっついていた。きっと白人や黒人、黄色人種なんて線引きが消えてしまって、みんなが仲良くなってしまうほどに人類から毛嫌いされてしまいそうな、或いは赤人なんて言われそうな、そんな風貌だ。それは悩んだ。何故だろう。何故出来るのだろう。難しかった。食事を見直しても、生活リズムを見直しても、上手くいかない。まぁ、ストレスだろう。健康においては、まるで生活保護みたいに、社会の最後の網目みたいに、汎ゆる病気の原因がストレスだと言われることがよくある。私は、精神科に行ったことさえある。
「私、うつ病だと思うんです」
「いいえ、違いますよ」
いいえ、違うのね、となった。その線引きなんて、私が決めて良いだろう。私は単に納得したかった。原因がストレスだという証拠を掴みたかった。まぁ、母のようにうつ病になるのも、それはそれは、馬鹿らしく、DVを受け離婚した母に比べれば大した苦痛でも無いと考えたりして、私はまぁまぁに、致し方なく、半ば安心し、納得した。それから右往左往して、観念を漁って、ニキビをアートだと捉えた。無造作ヘアというものがあるが、あのようなニュアンスを含んでいる。より無意識に、根源的に、潜在的に、感情やら性質やらが、表に出た、アート。何よりも不幸を伝える手段で、どんな言葉や絵よりも説得力があって、元に痛々しい。痛そうだったり、あんな風になりたくない、だったりという共感という面でも、申し分ない。それからは不思議と、うつ病の母との接し方も、この制限ある人生にも、アートだ、なんて思って楽になった。宗教にハマる人っていうのは、こういうことなんだろう、という妙な確信があった。すると崇拝する対象はニキビで、私からして見れば、ニキビは、仏や神と何ら変わらなかった。むしろ仏や神なんかより、身近で、感覚とも繋がって、目に見えて、ニキビを愛することは、自分を愛することに他ならなくて、好き好き好き好き好き好き。ああニキビ、私はニキビがあるから、この茨の道を歩めます。お金、人間、社会、生活、価値、汎ゆる驚異的なキーワードに、私は屈せず生きて行けます。私は随分と、不幸なスタートを切りました。いや違う、もっと不幸な人はいる。いや、それも違う、不幸なんて計れない。もう、生き地獄というより息地獄だろうか、呼吸が煩い。うわーん。うわーん。うわーん。なんて考えることも無くなりました。ニキビ様、拝啓ニキビ様、ニキビ様と会話が出来たりしたら有り難え御座います。もうこのままニキビと生涯を共にして、ビキニを付けて海に行ったりでもして、ビキニとニキビ付けてるなんてって笑ったりして、生きていきたいです。私という一人称を使っていますが、私は男ですが、ニキビが男だろうと女だろうと、オスだろうとメスだろうと、私は構いません。
このようにして、私は昇華というのだろうか、むしろ消化だろうか、ストレスを消し去り、視界が晴れるような感覚を得て、これは悟りなのか、ここは涅槃なのかと疑ってしまうほどだった。しかしそんな日々を経て私は、ニキビが無くなってしまった。ストレスが消えたからだろうか、どんなに、お菓子やら身体に悪そうなご飯を食べても、夜更しをしても、ニキビは、増えなかった。私は、神は死んだとニーチェに言われたキリシタンの気持ちが分かる気がした。私の肌は、以前までニキビがあったなんて嘘みたいに真っ白になって、キメが細かくて、「肌綺麗だね」と言われることさえあった。しかし私は、その言葉を悪口のように感じ、真っ白な肌を見ても、ニキビのキャンバスだとしか思えなかった。鏡を見て、綺麗な肌を見る度に、溜息が出た。「肌汚いね」という幻聴が聞こえた。信号の赤がニキビに見えた。私は、ニキビを求めていた。ずっと、ずっと嫌っていたニキビを、愛していた。それは、ラブコメみたいな自然なストーリーさ、があって、美しかった。私は、ニキビを通して、世界を理解し、軽蔑し、そんな世界を生きる勇気を手に入れた。しかし綺麗事を言ってみたりしたけれど、やはりニキビに依存していた。私は、ニキビが無い生活を考えられなかった。このままじゃ、生きていけない、と自殺を考え始めていた頃だった。ふと鏡を見ると、眉と眉の間に一粒の、愛嬌あるニキビがポツリと佇んでいた。
「ニキビだ」と呟き、自然と涙が、零れ落ちた。
「ああ、ニキビだ。ニキビがある。また出会えた。ああ、ニキビだ。大好きなニキビだ。ああ有難う有難う有難う有難う」
あるのは、感謝だった。私は、ニキビとその母である私と、世界に、感謝していた。感謝とはやはり、社会の秩序や進歩の実現、或いは精神衛生上のためにあるのだと私は思っていた。けれど違った。私の感謝は、零れ落ちた。ポロリと形容したくなるほど、超自我なんてものは無く自然に、溢れ出たものだった。私は幾度と無く、母を恨み、世界を恨み、愛を望み、裏切られ、絶望していたのに、生まれてきて良かったと思った。これは、世界への勝利のような気さえした。
「うわあこんな所に大きなニキビがある」
と言われた。
「そうなんだよ!」
涙が出るほど嬉しかった。
「よくそんなニキビ付けて外歩けるね」
有難う有難う。褒めてくれて有難う。
「ニキビが付いてるから、外を歩いてるんだよ!」
私はニキビを見せるように、わざと前髪を上げて歩いていた。自慢歩きとでも言うのだろうか、闊歩して、その歩幅の大きさがニキビへの愛を表しているような、私はアーティストなのだという自負を全面に押し出したような、そんな歩き方だった。これは信仰心であり、リビドーであり、愛であり、夢だった。
「おめぇ、よくニキビ出してそんな堂々と歩けるよな」
同じクラスの一人の男が、近付いてきた。
「ニキビも付けないで、お前は人間として生きているつもりか?」
「お前の方が人間じゃねえよ」
「人間だ。ニキビに私がくっついているこの様を人間と呼ぶのだ」
「あはは、最高だよ。友達になろうぜ!またな!」
友達が出来た。ニキビの万有引力だろうか。ニキビが引き合わせてくれた。今夜は、ニキビにお供え物をしようと、思った。
「あのニキビ見てー」
「ビーム出そうだねー、なんか」
「黄色いベッチョリしたビームねー」
女子二人組のコソコソ話が聞こえた。私は彼女らの方を向くと、彼女たちは手で顔を守るような形で私に手のひらを見せて、本当にビームを警戒しているようだった。
「出ないですよ。まだ」
「あはは、まだ出来たてなんだね」
「はい。出るとき言いますね」
「いいよ言わないで。気持ち悪いから」
彼女がそう言ったときだった。走ってきた生徒にぶつかって、私は、彼女らにぶつかりそうになって、手を壁に付くような形で、乗り切ったのだけれど、それは紛れもなく壁ドンだった。
「あの、」
と頬を赤らめて一人の女子が言った。「近い、」
もう一人も頬を赤らめて女子が言った。
「ごめんなさい」
「もうニキビ邪魔」
一人の女子は、のれんをくぐるように、手で何かをどけるような仕草をした。ニキビは、視界を奪うまで大っきくないはずなのに。けれど、そんな大きなニキビが出来たら、嬉しくて失神してしまうだろうな。
「ねえ。ニキビが治ったら、私、君と付き合ってもいいよ?」
もう一人の女子が言った。
「さやかどうしたのよ。まさかさっきので惚れたの?このニキビ男にー?」
「うん。なんでだろう、」
彼女は、もじもじしながら下を俯いた。
「ニキビはもう一生治らない、というか私にとっては、ニキビが無い方が病気なんだ。ニキビが消えたらまた作るまでだよ。また病気になったら、君がストレスになってよ」
私は、そう言って、彼女らを後にした。告白をされたという不思議な経験に戸惑っていた。とても可愛い二人組だった。ニキビが無かった頃や、一昔前の私なら、目を見て話せなくて、陰気で、告白なんて神話だっただろう。この世界は、ニキビ中心に回っているのだと思った。
「ねえ、付き合ってよ」
「え?」
私がニキビを満喫し、謳歌し、世界の全てを美しいと感じ、愛し、完結して椅子に座っているときだった。突然の言葉に、私は、小さな叫びを上げた。
「だって、もうニキビ無いじゃん」
私は、今度は、声が出なかった。手で顔を触りまくった。けれど、痛みも、ニキビらしい凹凸も全く無かった。まただ。またこんなことになった。上を見上げると、先週廊下で会った女子がいた。私の完結した日々は、約一週間で終わった。
「あああああ!!!!!」
私は、筆箱を開けて、赤のマッキーを出して、顔に何度も押し付けた。
「やめろよ!おい!」
という声を無視して、「ああああああああああ!!!!!」
ニキビを作った。オマージュだけれど、無いよりマシだった。
「おい!綺麗な肌が台無しだろ!やめろよ!こんなに可愛い私が付き合うって言ってんだよ!喜べよ!」
私の手を彼女は抑えつけようとしたが、やはり私は、男で、彼女は女で、それに、火事場の馬鹿力的な効果もあって、力では負けなかった。私の手に呼応して彼女も揺れていた。その様は、昔の私の様だと思った。芯がなく、ただひたすらに環境や傾向のままに、生きて心を擦り減らしていたあのときの様だと思った。私は、泣いていた。私が、可笑しいと分かっていたのだ。私が、昔望んだ世界がたしかにあった気がした。友達が出来、彼女さえ出来そうだった。けれどもう要らなかった。ニキビさえあればいいと思っていた。これは一種の防衛本能の現れだったのだろうか、けれどそんな理屈でこの気持ちを、核心を表して欲しくないという思いがあった。もう、この気持ちを殺してしまえば、ニキビを信仰する気持ちを止めてしまえば、死ぬだろう。殺らなきゃ殺られる。後には引けなかった。それは可笑しかった。変だと思った。成れの果て、行き着く先は、笑いだった。
「あははははははははははは!!!!!」
私は、机をガンガン叩きながら、空を仰いで笑っていた。
「もういい!」
彼女は、手を離して、教室の外へ出て行った。
「あははははははははははは!!!!!」
私は、ニキビを作っては壊し、またニキビを作る生活を送っている。その周期は一定では無く、四季や生理ほど分かりやすくも無く、ただニキビを待ち望んだり、ニキビが消えないように努力する日々である。一向に休まることを知らない。三角関数のぐにゃぐにゃのように、私の心持ちも上下するが、徐々に上をキープできるようになってきた。今、ニキビがひっそりと私の皮膚の下で育っているのだと思うと母性を感じ、ニキビが消えないように、応援するのは、まるでスポーツ観戦のようで、ずっと楽しい。ニキビが無い生活にも慣れていっているようだ。きっとそうやって、人は、成長するのだ。私が気づいていない成長というのが、私の身体の中に幾つも渦巻いているのだろう。私に告白してくれた彼女とも付き合っている。ハグをしてキスをして童貞を捨て、私が誕生した営みを理解した。ニキビが引き合わせてくれた友達とは、ずっと学校で一緒に話している。心から信頼し合える友達となった。親友だ。母親の体調も優れてきて、発狂したりすることなく、働けるようになった。私も、環境に馴染んで、景色になって行っているようだ。けれど物哀しい気持ちなる。耳たぶにニキビが出来ることはもう無かった。ストレスの強度によって、ニキビの奇跡的な位置度というのが、高まるのだとは限らないけれど、私はそうだと信じたい。私は、あのとき最も美しかったと思っている。最も辛く、最もニキビを嫌っていた。それは、世界を嫌っているのと同義だった。その姿は、最も美しい。苦悩に打ちひしがれ、死にたい昔の私に気づいてほしい。貴方は生きているだけで、美しい。欲望に任せて、欲望を実現して、見える世界は、虚無だ。貴方は、私を羨ましいと思うだろう。彼女は、無茶苦茶可愛く、親友と呼べる友達がいて、母は体調が良くなり、私は、その世界を受け入れている。羨ましいと思わない訳がない。けれど希望を抱かないでいい。それほど価値など無い。価値がないから美しいのだ。貴方は、私を最も美しいと思うだろう。けれど私は、貴方を最も美しいと思っている。その相互作用の中にニキビはある。表に出なくても、身体の中にあっても、ニキビは、たしかにある。ニキビはずっと、私達の間にある。それを私達が眺めて、初めてニキビのアイデンティティは築かれ、私達は、今の自分を美しいと思える。ニキビは、時空を越える。ニキビは、平和の象徴だ。私は、ニキビだ。
ニキビのオフ会を開こうと思います。参加希望者はDM下さい。

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