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物質的な感情は特に、脳から出るホルモンで操作できるから、ドーパミン的幸福の制限としても、体内の意識操作でどこまでもいけることがエコでサットヴァな道だと思う。沈黙の行があり、これは自分の内面に深く潜るためにやる。これを暮らしの中でやるには、自分の言葉を使わないこと、決められた言葉を喋ること、を徹底するのが良いと思った。言葉を選ぶ、理屈を浸透させる、エコに脳を操作するという意味で、催眠について調べてる。会話はシンボルが大事になるし脳が知らない情報を仮定する処理で人間は意外と非合理的に納得して生きてる。思考と言語が切り離せないもので、言語の持つ自由な力がそのまま暴走してる場合が多い。だから、理屈は筋道を作る上では大事だけど、身体に教える時は、あまり必要ない。身体は、安心して内側の力を引き出すことで、変わる。その方向性を、言葉で理屈で与える、導くことが出来れば良い。与えられるのではなく、身体が自分で答えを出して納得することが大事。身体を切り離し、霊魂の視点を維持するのは、この身体を飼い慣らす過程を経て、自然ともたらされるものだと思う。良い会話の理論のようなものも根本的には、抵抗を解き、内的なエネルギーを引き出すこと、になる。これは催眠や瞑想と手順が近い。緊張を解き、どんどん深い意識に潜っていき、そこにあるエネルギーを体験し、物質的な姿に変換する。実際これに成果があるかも、と考え、僕はヴィパッサナーに行ったし、元々、悟りの体験、解脱とか神様に出会うとか、にはあまり興味がない。そういうスピリチュアルな体験は副産物的に得られるものなのだと思う。色んな断片的な知識が深い所で繋がっていると感じる機会が増えてきた。教えられたことをするのではなく、どうすればもっと気持ち良くなれるのか、自分で考え身体と向き合う、ヨガを人類で初めて極め始めた人の気持ち、で試行錯誤しながら、学びはヒントとして使う。そういう姿勢が足りなかった、と思った。誰かが通った道を通るのではなく、自分の道を歩む意思が弱かった。中田英寿が、憧れる人はいない、完璧な人はいない、と言ってた。会ったり見た人の、良いと思った所を真似て付け足していくだけ、だと言ってた。足していく、どこかに向かって成長していく、その姿だけは、唯一完璧だと思った、等身大で、謙虚で、ただ誇れることはそれだけだと思った。一本道みたいに生きることできずに、色々蓄えた人間から生まれる物、蓋を開けたら何が出るのかって感じで面白いし、自分が1番興味ある。遠い目標を持つことはやめた、一つ上だけを見ることにした。どうステップアップするか、目先のこと、だけ。遠い物見れば、色んなものに憧れるし嫉妬する。芸人にもなりたいし、ハサミグループみたいな曲も作りたい。でも目の前のこと小さくコツコツやってく果てに、中身の成熟の表面として、それはある。今の習慣の隙間に少しづつ未来の種をねじ込む、それしかできない。野心とか焦燥が消えた。恒常的な緊張を剥がしてきて、身体が変わり、考えが変わってきている。催眠音声よりも、自己催眠で自分に語りかけていく方が、長い目で見て良い。文体も、理論立ててまとめていこうとしてるけど、催眠を取り入れたい。いつか純文学っぽくなるんじゃないかと思って、日記をプロットでまとめて見てる。シンプルな人生の流れ、が掴めて面白いと思う。物語的な期待度から、引き寄せのような効果とか理解がある気がする。日記の文章、考えをまとめたり、催眠だけだと、固くて緊張を煽るので、これからユーモアも入れていこうと思う。がんばれ。ユーモアはそのためにあるのか。ブリッジしてたら、蝶々が間をくぐってその先で蛇に食べられたら面白いと思った。あと自習室のトイレに行く時、みんな束の間の休憩って感じで足早で前のめりで格好良い。押し入れに入ってもWi-Fiが使えて、「押し入れに入ってもWi-Fiが使えるんだから」とことわざみたいなのを呟いて、嬉しかった。横になってスマホ触ってたら小蝿が液晶の上を歩いてて、自分が死んでるみたいだった。メープルシロップ買った。純ココアと豆乳を甘くして飲んでる。心の通じる人に会いたい。

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