先生

「よく笑い、よく泣いて、よく絶望しましょう」と先生はよく言った。
「犬は四足歩行ですね。人間は何足歩行ですか?」
「二足歩行です」
「ちがいますよ、人間は転がってるだけじゃないですか。口を動かす前に手を動かしてください」
私は戦争で両手を失っていた。先生は田中くんを立たせ、田中くんの頭を掴むと頭頂から音も立てず折りたたみ球体にして、「ごめんなさい」と言った。
「正午になるまで、田中くんを見ていてください。時給は発生しているので安心してもらって結構です。正午になったらあそこの電球の寿命が切れるのでそこに田中くんを入れておいてください。あなたは手がないから、あなたではない人、お願いしていいですか?」
「はい」
私でない人は牛丼を貪りながら透き通った返事をして先生が外に出ていったあとしばらくして牛丼をかちゃんと音を立てて食べ終わり、それから正午を迎える前に首を吊って死んだ。私の隣で人が首をつっていたが、私はいつまでもいつまでも飽きることなくTik Tokを見ていた。
正午になり予告通り電気が切れて、途端に球体の田中くんが机から落ちたが、ふしぎと音はしなかった。私は視線ではなく気配でそれを察して、やはりいつまでも飽きることなくTik Tokを見ていた。手がないから筆箱にiPhoneを立て掛けて鼻でスワイプした。
先生が二足歩行で外から入ってきた。
「4+2はなんですか?」と先生は床に落ちた田中くんをみつけて言った。私は慌ててもいないのに間違えて郵便番号を答えた。先生は表情を変えることなく田中くんを拾い上げて天井にぶら下がっている私でない人の口の中にねじ込んだ。先生は「怖いよね」と言った。何度も、私の鼓膜がその音だけを拾うように変形してしまうくらい繰り返し言った。
「ややはなまさなまあさまあさやかままらなたやななたまさらやかさた」
私の鼓膜はもう先生の言葉を拾えなかった。だけどそれでいい、先生から教わることはもう何もないと思った。そしてまた最後に「怖いよね」とだけ聞こえた。怖いよね、は先生の語尾らしかった。
いつの間にか私でない人は可愛くなっていた。首をつる前より可愛くなっていた。田中くんをねじ込まれたことなど私に想起させることはなかった。先生はまだ意味を汲み取る余地のない音を出し続けており、それは紛れもなく音楽だった。私はないはずの腕を振って走り外に出た。外は私が思ってた以上に外であった。

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