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木も淫夢が好き

木を舐めている女を目にした。彼女は丘の上で、何かを浸透させるようにぺったりと手のひらを木に置き、沿わせた身体をゆっくり上下させながら舐め上げる。何度舐めたのだろうか、木の皮は一部だけ腐ったように濡れているのがわかる。あれはこの村で最も神聖な木である。この村の住人の誰かが死んだ時は必ずあの木の周りに埋めるのだ。あの丘は死人によって膨らみ、あの木は雲を超える高さにまで、それを養分として成長した。この村の人は怖がり、儀式の時以外あの木に近づかない。そんな恐ろしい木を悠々と舐めている。しかし不思議と僕は清潔な気持ちでいる。保たれていた秩序が綺麗に壊されていく。さも自然に感じる。屋根から水が滴る。昨日雨が降った。水溜りが広がっている。ピンク色の紫陽花の肋骨あたりが水溜りの水面にうつる。僕は丘の下にある小屋の影にかかり、見ている。欲求が何なのか、喜びがなんなのか、もうわからない。何をしても自分が無理しているように感じる。握りしめたフランスパンをかじる。硬いから美味しい。僕はあらゆる面で挫折をして円を描いてしまった。角を曲がり続け、とうとう一周した。鐘が鳴る。村に危険が迫っているという警報だ。弓矢が彼女の横に刺さる。彼女は一切心が乱れない。次々と矢が打ち込まれているのに、木を舐めることをやめない。当たらないことを知ってるみたいに舐め続けている。僕は握りしめたフランスパンを水溜りに投げ捨て、彼女に向かって走り出した。知らない感覚と感情が目一杯に広がる。知り得た中での決定が儚いことに気づく。身体が自然と動いた。遠い遠い前世から引き継がれてきた、これだ、という感覚。僕の描いた円は宙を舞い、ぐるぐると回り始める。永久に木を舐めるのか、と思った時、矢が彼女の腕にかする。僕はその手を掴み、丘を駆け降りる。抜け道があるんだ。と僕は言い、高揚感に包まれる。聞こえているか?と誰かに語りかけたくなる。そして、音も匂いも全部、綺麗な死体になった。

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