九九

私は、九九を言えない。どうしても、5の段だけ言えないのだ。同級生は、みんな難なく5の段を乗り越える。
「5の段なんて、お尻の穴を締めるより簡単だよ」と彼らは、言う。
5の段以外は、私も難なく言える。それに関しては、「お前すごいよ」と言ってくれる人もいる。しかし、それが私を苦しめてることなんて彼らにはわからない。5の段だけ言えないということが問題なのだ。
母は5の段未満しか言えなかった。父は逆に、6の段以上しか言えなかった。そしてその遺伝子を受け継いで、私は、5の段が言えない。同族嫌悪か、両親は私を責めた。「良くしてやっただろ」「なんでこんな簡単な段が言えないんだ」みたいに、私を責めた。「ふふんがふん!ふんふん!」みたいに5の段のイントネーションとリズムだけを押し付けてきた。
私の人生の計算を狂わせたのは、紛れもなく九九だ。九九は、計算方法なのに、皮肉な話だ。しかしこれが現実。世を便利にした言葉によって苦悩は生まれ、世を楽しませる感情によって、苦悩している。
今、言ってやる。大声で、言ってやる。
「私は、うんこやおしっこをして、不思議だと思えればそれでいい!イントネーションとリズムだけを押し付けられた成れの果てがこれだ!お前たちの肛門や靴を舐めたって構わない!私はその文化に属さない!絶対的に測らない!私は、この曲を楽しみたい!」と私は校内放送し、それから、はじめてのチュウを流す。
いい。冷ややかな目で見るといい。
私はまだ、キスなんてしたこともないし、これからすることもないだろう。ただそういう世界があると、眺める。私はそうやって逃れる。小2だからだ。

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