観察者

河川敷で孤立している子には、空に浮かぶ雲が長い溜息に見えている。寝転んだ体の奥で川が流れる音に解されている記憶は、草花の隙間を縫い広がり、土を暖め始めている。

見られている雲は輪郭を滲ませて、別の目に映り脳の中に溢れ寄せる。脳の中でまた浮かび、耳から高揚感として抜けてゆく。見ていた子は、黒くて長い道の途中でてんとう虫を見つけた。

広けた空間から離れ小さく部屋に閉じ込められている子は本当に怒った。DNAを手繰り寄せて、閾値を測った。初めての経験だ。こんなにも体が震え、感情が海のように静かなのは。こんなにも視野が広かっただろうか。暗闇の中でもはっきりとフィルターの変化に気付ける。視覚というより感覚全体の視野が広がっているのだろう。体の軽さにも驚いた。時間の遅さにも、制限の重みへの余裕さにも。なぜ私は誰も傷つけていないのに、迷惑などかけていないのに、こんな目に合っているのだろう、というような平凡な悲観は容易に剥がれた。部屋を出て包丁を土に埋め、グリーンカーテンを求めた。

丸い部屋で細くなってゆく子は、自らの美しさに酷く溺れていた。血液で腐ったフローリングの床、爛れたような白い壁、ピンク色の吐瀉物を垂らす天井、比較対象はこのようなものしかなく、夜になり窓が鏡のようになるのを楽しみに待つ毎日を送っている。けれど、その子は部屋の外のことを全て知っていた。全てである。全てを知って尚、美しかったのだ。

水の子が月を追いかけて波になり、桜の花びらを食べている。咀嚼音と感傷が抽象されたら、それらが空気に溶けてそれぞれの鼻に入る。

空に劈くように伸びる鉄柱は雨に打たれ人の目にはわからない程度に縮んでいる。コンクリートがなぜ固まるのかわかっているのはコンクリートだけだった。

住民全員が和太鼓を鳴らすアパートがあった。そのそばを、全てを受け取れないままに自立した子が歩いている。音は体内を反響し内臓達を喜ばせる。しかしその子は何も思わない。何の印象もないモノクロな世界をただ進んでいた。目の前に丘が二個見える。おっぱいのような形をしている。足取りに一切の迷いはない。河川敷を越え、酷く冷静な民家と丸い小屋の間を抜ける。遠くに見える海を見向きもせず、雨雲の下の塔を視界に入れることもなかった。視覚や聴覚で測れない未感のスピードが出ている。その速さに全てが感動し感謝し、愉快な汗が立ち昇るのを私はじっと眺めていることしかできなかった。

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