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8/30〜9/5

弁護士に相談したが、結局悩ましい。自己破産するか、このまま猶予を引き延ばしつつ、限界が来た物から少しづつ返済するか、これから進めていくことは変わらないので、どちらでも良いのかもしれない。奨学金の所とよく話すのが良さそうか?奨学金は普通の借金よりも甘いので、自己破産をするのはすこし下手かもという案がある。大学無償化とかベーシックインカムとか、この制度自体が灰になる可能性もあるので、長引かせるのが良いかもという判断もある。長引かせて結局自己破産となるよりは、今した方が年齢的に良いということと、20年間手続きとかの関係が切れないで精神のリソースを割くことがリスクになってくる。最初は少ない額から始まるが、ゆくゆくは20年間、月々3万になる。ゆっくり返そうとすれば、1万とか2万とかかもしれないけど、それも普通にしんどい、その度に電話をしたりなどある。ブラックリストに乗らないことがそこまで重要なのか、わからない。借金がついて回るか、自己破産の経歴がついて回るか。最低限の収入と支出で、時間を1番大切にして、在宅でできる仕事を増やしていく、この方針は変わらない。どこでも生きられるようにしていく。そしたら自然豊かな場所でヨガと芸術に明け暮れることができる。この年で、自分のしたいこと、進みたいと胸を張れること、見つけられたことがよかった。この目標には、あまりお金がかからない。だから稼ぐ額も大量に必要な訳ではない。少ない金額の中から返済していくことは大変と思う。静かな生活の中で、大きな稼ぎが生まれることはあると思うけど、静かな生活で大きな稼ぎをしようと思うと、どちらも崩れる。何より掃除が第一。脳に処理のスペースを空ければ空けるほど、良い方向に進む。正直破産してしまった方が楽。返済をしようと躍起になる、この暮らしに疲れた。デヴィットカードを作れば問題ない。この返済のこと、考えに置かずに、生きることできるか?、それが難しい。仕事をする時、将来を考える時、いつもちらつく。ポジションとして頼ってきた意識も感じる。神様の視点から見て、自分の価値基準がどこにあるのか、何をしたら自分は喜ぶのか、それはわかってる。自分の好きなこと、社会が好きなこと、半分半分、ができない。何か合わないと感じるままに、続けること、僕はできない。自己破産は決定。若くしてカルマを背負う感じで、格好良いね。手続きとかを一息ついたら始めよう。最近部屋に蜘蛛が多い、生き物に好かれてきてる感じで気分が良い。自己破産を決めて、よくわからないところで笑ってしまう。元気を取り戻したCMみたいな人になった。心にざわつきはあるから、これが落ち着くまでは、反応せずに、忍耐。平穏と充実は両立するということはわかる、ただ充実によって平穏であると、依存して崩れやすい。人生には波があるから、平穏を中心として充実をもたらさないといけない。外には無関心で、自然とそうなった、目先のことコツコツやってきただけ、となる。充実を平穏作りの頼りにすることは、発達の段階では必要なのか?という疑問や甘えが生じる。この甘えに流されてきたと思う。本当に精神修行をするなら、逃げ場の無い場所へ行き、そのコミュニティの中で揉まれる。荷揚げみたいに。行ってしまったら、もう迷い込んだので仕方ない、となる。それが身体を使っての決心で、心や言葉を刷り込むことよりも手っ取り早い。ただそこまで完璧な環境はないので、自分の中で、その環境に入った、という疑似体験、包括意識みたいなものが必要と思う。それを育むことになる。今したいことはわかるし、次のステップもわかるので、持ってる時間を最大限そこに充てることだと思う。理由や意味がなくて、ただ生活の一部になるのが良い。結局、恐怖で動いているのかもしれない。社会の中でよく動けるのも、お金を握られてる恐怖、人間の恐怖があって、成立する。何かにワクワクする、意欲があるのも、恐怖に対して積極的な態度だからであって、恐怖がベースにある。リスク回避がベースに方針が生まれる。やりたくないことをやらないで、どんどん生きる道を狭めていく、無駄なことを排除して必要な所に尖らせる。これも恐怖に対して積極的な態度を持つからと思う。意識高い系というような、あえて過剰に行う文化は、1番資本主義宗教に積極的な立場ではある。実際それが資本主義を加速させて、どの国もアメリカになってきてる。これも良し悪しがあるので、このアメリカナイズな考えを取り入れながら、出来る限り広く、流れや生命を失わないように、総合力で生きていきたい。挑戦的集中、ゾーンに入る条件もギリギリ頑張れば達成できそうな目標を追いかけると到達する、これは恐怖や不安感に対して最も積極性を発揮できる条件だからだと思う。難し過ぎたら、消極的になる。先のことは考えず、一つ上だけを見るのが大事。芸術とか自己性愛とか、恐怖や不安を元に逃避、自己防衛から派生したものが、成果に結びついている。恐怖という概念が、何かに怯えることのように見えるけど、そもそも恐怖があるから痛みがあるから、成立してる喜びがある。愛やワンネスの次元も、恐怖から生まれる。恐怖、積極性、愛の順番に、タマス、ラジャス、サットヴァ。何かを理解すること、共感することは、恐怖を受け入れることで、積極性のテーマ、範囲、戦い方を知る方法になる。どうすれば、この恐怖に対して積極性を保てるのか、そして愛の次元にまで歩みを進められるのか、それを一個一個、あらゆる恐怖に対して持つことが大事。これが、これなら勝てそう、という挑戦的集中を引き出す手段になる。これは意識操作で、感覚や身体のものだと思う。恐怖と一元的にいうとわからなくなるが、エネルギーのフィールドに落とすと、欲とか身体とか、様々なものが恐怖。生きるだけであらゆるものが怖い。まずはそれを正直に受け入れること、が大事な気がした。怖いと、愛せるようになる。価値が見える。人間的な価値があるというのも、その人が怖いか、だと思う。有名になると、常識になる、常識に遅れると排他される、だから怖いから好きになる。とにかく聖人な、良い人もそう、自分が情けなく感じるのが怖い。何考えてるのかわからない人ほど怖い。感情や野生を剥き出しにしてる人ほど怖くない。物質的な意味では怖いけど、この恐怖に対しての積極性は物質的な意味で強くなること。コナーマクレガーもいじめられて強くなるし、囚人もやられないために鍛える。畏怖とか畏敬とかって言葉があるし、恐怖には階層がある。これからは言葉で感覚のこと、もっと考えれるようになりたい。思考よりも感覚の方がシンプルで、思考は感覚の構造を掴むように使うべき。一部を抜き取るラベリングではなく、全体へのラベリングをするべき。僕はただトレーニングをしてるんだと思う。陰のエネルギーは陽のエネルギーが眠ってる、意識力で、意識操作で、開く。理屈に頼るのも良いけど、目をつぶって身体と向き合って戦うこと、それが僕に足りない。そこをやれば、準備がいらない。ボディスキャンも、透化するのは結果で、意識操作でエネルギーの流れを変えることの実践が基本。冷静に考えて、自分はうつ病なのだと認めた方が良いと思う。名前は必要ないが、コルチゾールの慢性化で視床下部が麻痺してることはわかる。PTSDレベルのトラウマはないが、慢性的な負荷でやられている。自分で何とか身体を鍛えたり知恵をつけて治療をしている、人との関わり方に悩むのも当たり前。相手に負荷をかけてしまうから。幸せが強い人の脳とか身体は、自分とは違う見え方感じ方で、広がってる。その意識を段々と広げていってるから、いずれ僕はそうなり、超えると思う。性エネルギーを広げて、上へと浄化すると安定する。始めは辛いけど、段々と楽になるのでサットヴァの道。始めは納得できず、焦燥や怒りや責任に駆られてたけど、課題を克服してきた。誰のせいでもなく、とにかく流れで運命でそうなってる、と身体が変わったから思えるようになった。キアヌリーブス、むちゃ聖人で、色んな災難を受けてる。掃除役というのが世界にはある。宇宙のバランスを取るために、あ、じゃあ僕やりますよ、と手を上げる人がいる。掃除役で乗り越えている人に魅力を感じるし、それが自己性愛でもある。人殺しとかには怖くて近寄り難いし、単に似た人が好きなんだと思う。植物や動物の造形とか、もっと深い次元にある趣向、奇跡みたいな複雑の極み、魂の形、そこで行われるコミュニケーションで、好意とか、を感じたい。きりんが好きなのが、どんどん深く感じてきた。

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