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火葬

自分の身体が燃やされて骨だけになることを考えてみて、とても身軽で神の器のような感覚になった。骨に張り付くように育った神経は僅かに残ってて、肉との連携がないままに骨だけでどこまでいけるのか、そんな見たことのない遊びに心を踊らせ、いかに土を踏もうかと工夫に花を咲かせている。そこに意思はなく、動く骨骨を、今はなき肉で捉えることしかできない。ただ見るだけで終わる体験がそこにはあり、触れたい、優しくしたい、スムーズに動く骨姿に邪魔をしていたのかと思いながら、まだ何か足してあげれないかと、松果体を螺旋状に伸ばして。視界は朧げで、何かを見ることに、何かを見つけることに、常識的な防衛に、一生懸命だったことを改めて、見ることなく見ることができることを知って、視界に入る全てが肉で、私で、骨を捉えているだけのもので、何もしないでもいつでもそこにある悦びがずっと果てしなく、それは愛されてる風にも恵まれてる風にも、息もできないくらいに膨らんでる。骨たちは、思いっきり息を吸って、乱結されたように色んな骨が動く。骨は家を出て、自転車に乗る。その所作は今までの肉ではないようで、私の匂いがほんの指の使い方に見えるような些細で刹那で、当たり前のように、必ず訪れる機会や体験として、車道を進んでいく。一面黒のコンクリートの細かな意味が、どこからともなく運ばれたセメントの思い出が湯気のように立ち上り、空、果てしなく名もない所で、名のあるものをさっぱり覆って。知らない道を進んで、人通りも、車の音も次第に薄く薄く薄く薄く、真っ白い世界にいるみたいだった。トンネルを抜けてると海岸に出て、来たことのない海、地図に乗っていない海。自転車を砂浜の波ぎりぎりに止めると、砂に吸い込まれて消えてなくなった。さざなみと足の骨が触れ、燃えるような熱さを感じる。私はどんどん広がって、海とも大地とも一体になって、この骨が本当に全てを動かしているのだろうと思った、骨は全てを引き連れて海の中に入っていく。熱さは限界を見つければ越えるように、いつまでも温度という基準でも測れないみたいに。悶えてしまうくらい苦しくて、全部が動いて、美しいと形容するしかないような全体が嬉しくて、やっぱりどこまでも悦びで、すっぽり海に覆われた。鐘の音みたいなずっしりとした響きが鳴ってから、もう何年も余韻が残って、骨は泳ぎ泳ぎ、あえて止まらないことをユーモアだと思ってるみたいに。私は連れられて、ぉぉおおおっと頭を撫でてみたり寝たり。

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