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自動筆記5 R-1落ちたよー

いつにも増して、寒さではないような空気が暖かく感じたりして、生きているのか飽きているのか問わないうちに、遠く及ばないカモメの踊りとかを眺めていたり、近くて遠いものばかり。そこに儚さや一切のニュアンスを超えて、O型のあり方とか個性だとかそういう規定に素直になった。なんにもないようで、何かあるような日々と、とてつもなく流れで力のこもってない行動とが、2匹の龍のように、それは外から見ると果てしなく宇宙を捻り出すような力なのに、中は抽象的なものをくるくる丸め集めたようにゆったりしているから、渦の中心にいる亀はそんなことを氣にかけることなく与えられた餌を噛んで飲み込むことだけを考えている。良いのか悪いのかなんで判断する暇はなく、全て見通しの心がどこかにあるし、探すのではなく氣づくだけの夜道だ。ゆっくり出て行こうか、速く出て行こうか、どんな姿でどんなセルフイメージで、どんな思い切りで行こうか。いつしか見えること、何もないようで、全然力入れないで見える。ある。用意してて。阿弥陀如来のこと、可愛いって言った。外に行って感じて。わかって、伝えたいこと山ほどあるから。モーニング、ありのままで絵の具が綺麗に並べられていた。単に何かあるようでもないようでも、とにかく書き溜めないといけない、つらつらとあるがままに自然に、大喜利みたく点ではなく、波を乗らなければならない。不安がある心と、何もないこともない夜の、異次元の遊びに弔われて。普段の声なら何が見える。悠長なことを言い、太陽をしっかりと眺める。でも勝ったり、イメージでクジラみたく上から乗る。 ペットボトルの中に溜まってる空気、押し出して、ぷくってお腹が空いた。沢山の精子が泳ぎ出して、ありきたりで体験のない感情に時間を割いてたら当然、知れば知るほど、知れば知るほど、頭は尖りながら、ああみんなの才能を借りて乗るだけ、そこに頭の尖を乗せるだけ、膣の壁を眺めたり、どこを活かしても言い、サマディが呼んでいる。意識的に力を入れるよりも遥かに、糸で引っ張られる方が強かったし、絶対に僕の方が面白かったことが鮮明にわかる。沢山沢山、山盛りの玄米を、思考ではなく魂で。

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