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ココアを毎日飲んでるから、作る時の所作が丁寧で手際が良くなってて、それが面白くて可愛かった。思ったよりも机がどっしりしてると感じる時嬉しい。物が乗ってる、乗ってると感じるのは嬉しい。夜寝る時の催眠と意識を作っていこうということで、幽体離脱について調べてる。催眠で、幽体離脱の時の経験を疑似体験させて予言を提示して覚え込ませていき、幽体離脱に入る反応や意識状態の流れを追いながら、睡眠と覚醒の間の認識レベルを深めて、身体は寝て、幽体は起きる、ということを意識操作でする。この流れを考案しました。リラックス、妄想、バイブレーション、離脱、みたいな流れ。催眠の言葉を作っていてわかったのは、瞼の裏の暗闇が、身体全体も見てるということ。イメージを視界だけでなく、体験の領域に広げるには、暗闇を全身で見る必要がある。全身が暗闇で覆われていることを認知する。あと視界ではなく別の意識で、イメージが生まれているように思うけど、暗闇の深さや広さや、色や模様など、気づきが創造力に結びつくと思う。夢を見れないことに寂しさを感じていまして、それは知識に起こさないといけないという試練でしたし、夢を見る動機や必要性について、吟味しなくてはならなかった。幽体離脱を疑似体験させる時に、欲求を高めてそれを実現した状態を幽体が体験するということをする。欲求を高める必要があるし、その予行練習があることで、良い夢を見ることになる。恐怖や受け取る情報ばかりの、夢を私はおそらく見ている。積極的に描く必要があるし、この妄想の手順や内容や深さが積極性を引き出す意識操作と深く繋がってる。つまり幽体離脱は意識操作の練習と思う。幽体離脱の違いは、深さ、無意識に潜ってる所だと思う。違和感で肉体に戻されたり、記憶の回路を辿ることで創造をできたり、意識操作の対話がかなり繊細で、純度が求められる。恐怖が強くなれば、恐怖が反映された物が創造されてしまう。ただ恐怖は生命体として大事な物なので、その恐怖を許容して夢の中だから大丈夫だと包み込める寛大さや冷静さを養うことが必要だと思う。恐怖を抑えるために無になると表現しているけど、許容を深めることで緊張を無意識の深いレベルの物まで解くことができて、無に近くなるのだと思う。完全な無は存在がある限り辿り着けない。質も、細分化された要素の集まりで量だと思う、脳の処理が追いつかない、あるいはサボる時に質という言葉を使う。とにかく許容しまくる、集中と許容の関係について考えると、一点集中すればするほど、雑念や誘惑が浮き彫りになっていく、炙り出されていく、それが原理としては許容なのかもしれない。欲求について。生命体は常に自分を破壊し入れ替える形で、姿を留めようとした。欲求は破壊されたものを補う動勢で、生物は持続的に破壊されているから、欲求は潜在的にある。代謝がエネルギー、動力源とするなら、欲求を満たしてあげることで、つまり補うことで、破壊と補いの快感を覚え、さらに欲求を高めるループに入る、そしてエネルギー・生命力が高まる。私が考える掃除は、欲求を満たすことにある。欲求を満たさず溜めていくと、破壊を弱める方向に働くため、宇宙が試練を与えてきて破壊を促す、つまり欲求を高めようとしてくる、これが本当にキツい。だから欲求の満たし方を知ることが切実な願い。ヨーガや宗教では禁欲が勧められる。これはエネルギーを弱めて治安や支配構造を守るための教えとも取れるし、良いループに入れる欲求の満たし方の教えでもある。口数が少ないのは、宇宙のバランスを保つためだと思う。みんなが正解を知ると壊れるのだと思う。禁欲がなぜ良いのか、あと付き合い方を考える。外部から補う形で欲求を満たそうとすると、始めは快適だけど、だんだんと外部の価値は高くなり、脳はその欲求を満たすための条件を外部に置き、快感を配置し、依存や思い通りにいかないと感じる機会が増える。ドーパミン的幸福の特徴と同じで、足していくことでしか幸福度を高めることができず、外部には限界があるので頭打ちになる。いくらお金を持っても幸福になれない、とかはこの原理。ドーパミン的幸福を制限して、つまりセックスとかご飯とかを減らして、質素な暮らしをすれば、些細な外部で超満たされて幸福度を保てるようになる、と始め考えていたが、現実はもっと積極的でありがたい物だった。まず、欲求は全て根本は繋がっている、と思う。身体の発達として必要と認識した箇所に快感を置いていくのが脳の傾向だから、魂・幽体に近づき、その条件を解いていくことで、深い根本の欲求を満たせて、外部で補うよりも果てしない快感を味わうことができる。宇宙の理まで広がるので、死ぬまでに味わい尽くせないほどの量、頭打ちにならない、どんどん足していけば、ますます欲求は高まり満足感も高まりエネルギーが高まる。生きているだけで気持ち良く、脳による快感の配置に惑わされず、より自然に生きることができるようになる。セックスもするし、ご飯も食べる。ただ外部で満たしておらず、幸福度は身体の中で高まり続けていく。人の自然な営みをする、地球や宇宙の流れに入る。おそらく、体内での意識操作が凄いレベルに達していたら、超やばいドラッグをしても依存しないと思う、身一つの方が気持ち良いとなると思う。歳をとると、セックスも食事も必要性が減っていき、営みとして、欲求の根本をぐんぐん満たす方に進んでいく。条件を取るというのが深い。集中と、プラーナの操作が鍵となる、と思う。根本の欲求とは何なのか、と考えると、生命体の原理である、身体の中の物質を破壊し、入れ替える行為で、入れ替えれるという意識があるから破壊が生まれる、だから満たせば欲求は高まる。そして、呼吸や食事から、プラーナや素粒子のレベルで行われている物まで、その体内と体外の物質の入れ替えを認知して意識操作で促していくことが、追求の方向性だと思う。最終的に透明になり、呼吸を止めても身体で息ができるようになる、らしい。皮膚呼吸ではなく、全身の細胞の中を風が通るらしい。つまり魂・幽体・全体に近づいていく。これが集中力の極地だというのが、私の考え。集中力は波がある、存在がある限り振幅がある。ランナーズハイのようなラジャス型の集中と、催眠のトランスのようなタマス型の集中がある。どちらも集中の時間に限度があるから、波になってる。この循環を磁極の反発を使って高速にする、それと体内と体外の循環の認知を合わせて行う、これが集中だと思う。浄化されてると感じる時の、感覚が解放される感覚は、意識を許容していき、抵抗、つまり条件付きの恐怖や快感を解いていき、無に近づけさせ安心させていく欲求の満たし方、と思う。なぜ集中力が大事かといえば、一点集中によって、その抵抗や条件が誘惑や雑念として浮き彫りになっていき解放が捗るから、と思う。禁欲は、内的に補う、つまり集中力と抵抗や条件の解放を養うために必要。そしてこの禁欲だけを真面目に行うと、欲求を弱めて消極的になり肉体の元気が弱くなる。欲求を高めることで内的に補う必要性は高まるので、外部から補おうとする欲求を高めることは大事でしょう。一つ上を目指すこと、好きな人を追いかけること、など。内的に補うスキルが高まると、生きてるだけで気持ちいくてより自然に生きるので、宇宙から味方をされるし、創造性が高まってくるし宇宙への理解が深まるので、外部も円滑に回ることが多くなる。

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