末期ではない

暗い暗い何もないとも思えるけどそれは視覚的に見えないだけで空間があって隔たりがあるのならそれは何かがあることだしここには客観があって私が何もないと思うだけで誰かは見つけているかもしれないしそういう可能性ならあるといっても良いからとにかく可能性はあるしこの黒色のドットの一粒一粒にそういう可能性があったとして私はその中に包まれているということだから、携帯の液晶が月みたいに光っていると夜思う。月を持ち歩いているなんて贅沢。私はトイレでうんちした。
日頃から思うことがある。この世の中は糞だということだ。何が糞か、抽象して何か言おうとすると揚げ足を取る連中がいる、言ってしまえばそいつらが糞だ。感性がないAIばかりが集まってちんことまんこでベイブレードをしている。もっとないのか、私はSEXがしたい。
家、家とは何なのか。夜、この暗い街に包まれて、家。馬鹿に定住は向いていないし、凌ぎ凌ぎ生きるのは、いくら戦うために生まれたといってもね、戦う相手も空虚だから、自殺と同じだよね。
太鼓の音がしてる。水の音がしてる。うんこが流れてる。鳥が歌ってる。木々が囁いてる。うんこが流れてる。
溜息が出る。た!め!い!き!

蟻が歩いていたので、砂糖で埋め立ててあげた。地獄か天国か、決めるのはお前だし、私はそのきっかけを与えただけだから、急にね、何の思い入れもないよ、時に理屈も生き物になるんだよ、ああ、公園。
公園に猿がいた。2匹です。どういう訳か、交尾をしていて、そういう意味で人を猿と呼んでいる訳ではなくて本当に猿で、その猿が交尾をしていて、その交尾が、ジャングルジムやブランコや砂場を巧みに使っているから、私も見入ってしまい、自動販売機でおしるこを20個買って脇で飲みながら眺めていた。おしるこの甘さは、交尾している二人の光景に似通って、くどくてどろどろしていたんだけど、むしろ飲みながら、あのくどさに釣られておしるこを買ったようにも思うし、そう思えば妙に感覚も二人に近づいてきて、入れられている側の感覚と入れている側の感覚の両方を感じているというか、 交尾全体を感じていて、見ているものが私、感じているものが私、やっぱりそこに立ち返り、20個もあるおしるこを股に挟んでいると、股間が熱くて、それが捉えようのない熱で、数も多いし濡れてるし、3個飲んだところで泣きました。別に泣く必要もなく、泣きたい気持ちもなくて、泣こうと思えば泣けるけどって状態で常にいるから、その線を超えてみただけの、そんな些細な枝分かれだったんだけど、泣いてみると、意外とするする泣けるから、嬉しくなってきて、いつか死ぬことが、鮮明にわかった。4個目も変わらず甘さで、潤ったフィルター越しの交尾は印象派のようで、私はこれくらいの方が良い、これくらいの距離感で現実と接したい、私はそう思ってから、そう思ったから泣いたのかとも思った。私が10個目を飲もうとしたときには、猿が器用にうんていの上で、騎乗位をしていて、楽しそうだと思った。訳がわからないけど、訳がわからないものを与えられてありがとうって素直に言えたような気がした。10個目以降はもう、おしるこを飲んでいるという感覚はなかった。ただ、儀式的に猿の交尾を見届けている間は飲まないといけない、そういう学習をしているらしかった。私がもし子供を産んだ時、私の遺伝子を継いだ子はさぞ生き辛いだろうな、と思った。20個も買うべきではなかった。電信柱が背後で生え並んでいるのを感じた。線が繋がって、あ、気持ち悪い。私の呼吸が荒くなってきているのを感じた。糖尿病である。私は走った。私は走って、交尾をし終えた二人に、おしるこを一つづつ蓋を開けて渡した。おしるこを受け取る所作は人間の素直な姿みたいで羨ましくてうざかった。このグロくてくどくて黒いどろどろのものがお前なんだと、お前はお前を飲んでお前しか知らずに死ぬんだと1匹1匹に思った。砂を投げつけられた。
ひゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!
私は街をかけている。街が好き!街が好きよ!私!

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