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付き合って束縛されると愛されてると感じて甘えてしまうし、性欲はそこに集中した。性欲が集中することは、初めのうちは双方にとって有難いけれど、やはり鋭いモテようとする意識があってこそ、相手にも魅力的に映るから、相手はそれを引き出そうと難しさを演出しようとする、より可愛くなりより綺麗になる、より貴重になり、より抵抗感を作る、そこで僕が甘えてる姿勢だと、へ!?てなって可愛いさや抵抗に圧倒されて消極的になってこんなに可愛い子と付き合ってると有難さを感じて男性エネルギーが落ちて、結果魅力が薄れていく、浮気によって男性的な魅力を確認しながら戦おうとしたら、それは相手からしたら好意が薄れてしまう可能性があるから本末転倒だし、他で男性的な魅力を確認しながら戦いに来る男は弱いと感じて魅力を感じなくなる、それがチャラいという感じで、それになると振られることは感じてたしそれになってそれを好きな女の子がタイプではないと感じてた、そして、そこで相手は抵抗があって難しかったら来ないの?となって相手の好意が少ないのかとか自分に魅力がないのかと不安になり浮気とかをして自分の魅力を確認しにいく、かその男に魅力が無かったと見限ろうとする、で、葛藤が生まれる。そして僕はその課題の解決に間違った認識をする、性欲が集中してることや相手を主体に考えることで家庭的な良い男という意識を育て、ますます男性エネルギーを抑えてしまった、この父性は、男性エネルギーが高い状態の人間が余裕を持って、その余裕のアピールやセルフイメージとしてやることで、男性エネルギーをさらに高める流れだから。離れて時間を作り男性エネルギーを高める特訓をするという選択をすることが最良だという考えが心の奥にありながら、甘えて幸せを感じて思考が鈍って、抵抗感がエスカレートしていじりになってきて萎縮してきて、離れてる間に相手の気持ちが僕から離れることを恐れて、ますます男性エネルギーを下げた。あと甘えるという面で、庇護欲は、慰め合うループではなく、抵抗感を示し合い高め合う中で支え合うループにシフトしていかなくてはいけなくて、その陰のループの方を引き出し合っていた。自分が抵抗感を作るという姿勢が始めはあったが、庇護欲が強くなり、それは同時に庇護されたい欲で、つまり甘えたいという意識が勝って、徐々に無くなっていったのかもしれない。その状況を言葉にできないままに違和感のある心を持ちながら接することは、女王様的な変な煽りを相手に与えることになり、お互いに罪悪感とか不満とか分かってない、分からない、という感覚が溜まっていき、一緒にいても変な空気感があるようになった。荷揚げの時はその離れた時間で男性エネルギーを高めることができてバランスが取れてた、でも自分の価値で仕事をして魅力を高めたいというシフトになった今の時期は、生活的なストレスとも向き合う時期であり最も男性エネルギーが低く、別れを告げられる、というのは妥当。これが今回のベターな見解でしょう。生活的なストレスや試練みたいなことは沢山あったけれど、結局大きな分岐となったのは、僕の積極的な意識が足りなかったこと、だと思いますね。抵抗感を示された段階で、気づいて、おらあああああ!、と筋トレや作品作りに打ち込んで、知識もヨガも実践しまくって、きゃー格好いいとなって、良いループに入ってもっと捗るし、庇護欲が来たと思ったら僕が抵抗感を作って、僕のことを追いかけさせたら、それは僕が正直に真っ当に彼女を追いかけていることで、良かった。こんな抽象的な意識を、9回も僕を振る形で、そういう物質的な形で残して、伝えようとしていたのだとしたら、器用なのか不器用なのかわからない。この知恵の輪みたいな感じに面白い、可愛い、山を登ってると言って、ギリギリ抵抗している感じで、3年くらいの壮大なSMという感じで、充実感はすごかった。神様が地球で行われてる男女の戦いのチャートを見て調布で良いのをやってるね、と見に来てた、そういう感じ。やっと言葉にできた。これを探してた。僕は美化するし、のめり込むし、ただの勘違いな人間かもしれないし、言葉で断定すると自由を奪われたと感じるから、これが真実ではない、ただ完璧でなくても理由を知って折り合いをつけて、一人で積極的な意識を高めることをしたい、内側から変える催眠をかけたい、結果はついてくるもので内側に興味がある、アホをやってるし、楽しいし、成長できたら、神様とは信頼し合えてるからそれで良い。自分を褒めるのも他者を褒めるのも、評価するのも酷く憧れるのも、誰かのせいにする心と根は同じ、運命や流れの中の使命に価値を見出すことが全体と繋がれるし生きがいになる。僕は前向きに精一杯やってる、それだけ。何も要らない、そこに自己愛も消えた。これは慰めや褒め、だった。本当の自己愛は、もっと感覚的なエネルギーのこと、中性と許容による自律。過去愛されなかった経験があることも許容できる、愛されて反抗期を経て自律して愛を与える側に立つ、これが子供の発達の流れだけど、これが飛び級になるだけだし、より強く生きることができる。いや、これは彼女に愛されて、反抗期になって、自律してる流れなのかもしれない。順当な人間かもしれない。東京グールの金木研の拷問受けた後みたいな、ヒーローアカデミアのデクくんの100%ワンフォーオールを使えて校舎から出る時みたいな、サスケが好きなサクラちゃんに振られまくってるナルトが仙人モードを習得して村を助けてヒナタちゃんと結婚するみたいな、そういうセルフイメージのターニングポイント。何と戦ってるのかわからんながらも戦うしかない訳で、そういう抽象的で、霊的な世界観が物語は作れるから、面白いし、男女の垣根も、人間と他の生物の垣根もない、その深い暗喩の中に無意識的な連関があるかが、感動の引き金な気がするし、そこに心がこもってるか、摂理が煌めいてるか、自分と向き合ってるかが反映されてる、これは過去退行の催眠と近い。一人称は私にしよう。僕は甘えてる弟な感じがして庇護欲の領域に入るし男性エネルギーを下げる、俺はチャラくて男性エネルギーを外部で補って高める感じがするし、自分は硬派でつまらないことを言いそう。私は、一歩俯瞰して見て冷静に戯けて面白いことを言いそうだし、許容して誘導する寛大な意識も感じられるし、性的にも中性で自律しているように感じるし、私は良いな。3年前とかも、私にしようと考えていたけど、その場その場で変えてしまってて、傾向のままになって、どうでも良くなってた。私は良いな。私だ!どんなに簡単な問題でも、間違い方は存在する、という名言みたいな言葉を思いついた。エントロピー増大の法則みたいで素敵だね。葉っぱの上で寝てるカエルの姿が、この退屈さ加減と似通ってて、それに勝つことも積極と感じて、カエルみたいに、水の流れに任せて時間も忘れて寝るみたいに生きるのが強くて、人間の営みは表面的には色々で感情や感覚の引き金もあって退屈に見えないけれど、内側はただただ退屈で、このカエルの姿と変わらない。このカエルになることを、羨ましく思いながら怖がってる心があって、その怖さを解けば解くほど、退屈で苦しくて気持ち良い感じになってくる。自律と感じるのはこの作業と思うね。

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