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自動筆記7 暇という芸術

水面と中にあるもの、目、歪んで見える。いつもだ。いつもだから意識が内側に向く。矢を一つ一つ丁寧に抜き取り逆方向へ投げていく。見る時見られている、食べる時食べられている、笑う時笑われている。カモメが鳴きそうな静寂が、海の上に産まれる。かき混ぜられるように動く海に白泡が、伝えを宿している。降り注ぐような外から、大切なことだけが芽のように内側に生える。中で花が咲き、外が土。土を触るように歩き、情報を体験にして浴びる肋骨。逆様になっている絵が、奥行きとかあらゆる次元を無視して動いている。内側にあるものが空に羽を生やす。雲に雨が降る。太陽が照らされる。意思は不可逆で、使役や主従ではなく外は中で、中は外なのか、とぼんやりラッコは思った。貝の匂いがする。殻を破るため以上のお気に入りの石。お気に入りの石を太陽に掲げて、少し透けている所を見つける。そこには無限の世界があって、湖に浮かんでいるだけなのに、と思った。鉱石みたいなキラキラもあって、純文学みたいな読後感をそこに見つけうっとりしていた。水の上の漂う浮遊感は、あらゆるものに似ていた。人間が歩いている時とも、猿が吠えてる時とも、ネズミが鳴いてる時とも。お腹に木漏れ日が映る。呼吸が駆け回る。縄の結び方の全て、音の種類の全て、形の全て。全ては確かにあり、呼吸は知っていた。どんな芸術家も届かない体験が既にあった。ラッコは安心して内側に潜った。脱力し、軽くなった。ぶくぶくと沈んでいく。沈み込みに押されて別の所が膨らむ風船のように、イメージが浮かんできた。そのイメージの中でたしかに生きているものもいた。僕のようにもがいているものもいた。水面の中から見る太陽は歪んで見える。いつもだ。

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