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10/14〜19 調布のスロー

地下にある行こうとしていたカレー屋が既に営業開始時刻を過ぎているのに、開いていなかったために、階段を登り返し、首まわりの筋肉と背骨が密着する感覚を彩らせながら、ぽっかりと空いた感覚によってひらめく不安感がビニール袋みたいにくしゃくしゃになってお腹が意思に後からついてくる、そこから広がるタコの足のような気と、あまりにも鋭い足運びで、地上に出て、雲がながれ首は色濃く上を向く、懐かしい風が立ち並ぶビルの間を通り過ぎ、そそり立つ無機物たちがほんのわずかに私しか知覚できないほど小さく揺れ、人々の喧騒が街路樹の栄養になることを初めて知り、理性的なタイルをゆっくりと、しかし日常的には出さない力で踏み込み、静かにこの大地を、この世界を、自分のものにして笑顔、溢れんばかりの歯と太陽を調和させ、結果よりも過程が大事な空が見えた。すると足裏から頭頂まで巨大な生物に撫で上げられてるような、抗いようのない感覚がどこか名も知らぬ火山のマグマのように噴き上げて、このどこにでもある街のどこにでもいる人が、人知れず、この世界にとって余りにも壮大で、誰にも全体を把握しきれないことをしているような、孤独の中にたしかな意味を宿していた、道に無数の足跡。イヤホンをつけて、ハサミグループの道と記憶を聴いて、僕が死ぬことも今日寝ることも決まっている、これから何かが起こることを知ってるってことは過程を大事にするってことで、かつて赤ちゃんの時初めて呼吸してから、こんなに姿を変え大きくなった身体と、記憶の中で、感じたことのない恐怖がきた、どんな拷問されても、どんな化け物が来ても、感じれないような恐怖、足が震え、その震えで溢れている涙。腹が減っているし、怖いし、空は高く、言葉に起こせない感覚、神がこの世界を作っている時、私はその姿を眺めて笑っていた、という、終わりのないイメージで、私は伝えたい。この心を世界にしたい。これは生殖されたものか、俺は何なのか、この存在を何と呼べば良い。涙が、身体に必要な水分量のことなどかえりみず流れ、堰き止めていたダムみたいな殻の存在に気づく、まだ気づいていない殻があることまで、そっと。音が綺麗で、世界の凄さに感心するばかりで、僕は何年もかけて駅前の松屋のプレミアム牛めし並を食べに行った。腕時計の針は2分動くだけだったが、僕はたしかに、何年もかけて、訪れる全ての感覚を景色を意味を噛み締めながら、歩いたのだった。食券を買い席についた時、全身の筋肉痛に気づく、頬も腹も触ってみるとこけているのがわかる。立ち上がって、店員さんの前に行き、食券の払い戻しをお願いした。いつか僕は、ご飯を食べるだろうが、今その時ではなかった。カレー屋が開いていなかった意味が、私の中の深い深いところにある神の意志が、わかった。僕はもうすぐ寿命が尽きて死ぬが、この人生が素晴らしかったのは、この瞬間があったからだ、と看護師さんに話した。僕はゆっくりと描けば現実を思い通りに書き換えることができたし、素直でいながら外に頼らず、完全なる幸福を手にしていた。瞼が閉じ始め、過程の終わりに、この部屋の空気がゼラチンみたいにトロトロに見えて、こんなものか、と笑った。

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