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9/26 死の軽さ

全然最近書けてなかったから、今日からね、毎日朝1に、昼夜逆転してたら起きたタイミングでドローイング書く。

浴槽に浸かる身体を浴室の壁になった気持ちでデッサンする。右腕を肩から丁寧に伸ばし、浴槽の縁に旅人みたく乗せ。湯の暖かさで剥がれていく精神のような物理体が、湯の暖かさへと溶けていく。無数の旋回する気の先に開いた瞳孔の夢がある。鯨が泳いでいる。とにかく大きくて優しい。人間社会が生み出せるような拙い不幸よりも、ずっと奥の奥の奥の、地球の奥深くの不幸を何度も何度も癒やしてきた鯨。何頭もいるようにも、1頭にも見える、ぼやけてるようにも、線画のようにくっきりにも。瞬きをすれば、キリンにも、バシリスクにも、マンションにも見える。途方もない次元が回り回って泳いでいる。身体の感覚はいつのまにか、描ける限りを描いていて、遠くに置いた沢山の物が、皮膚の上を裏を骨と内蔵の間を、歩いている。たまに涙を流すものもいる。すぐに血液になる。身体の中にいることだけを誇りにしているものも、身体の中にいることを嫌っているものもいる。だから、私は描ける限りを描いている。胸あたりに生えた木の回りで、小魚が踊る。木の葉が一つゆっくりと何億年とかけて落ちる。肉がつき肉が剥がれ骨になるものがいくつも、層になって風船のような表現。落ちた、って長生きな蛙が言う。木の葉はまだ宙にある。まだ宙にあるじゃないかと、おたまじゃくしが言う。池は細く生えた草と寄り添い静かに眺めている。心臓の鼓動で池が揺れ、海に変わる。太陽が映るかのように、見たことのない鳥が歩く。頭を撫でて欲しそうにこちらを見つめている空は、血管に変わって龍になって、いつか限りなく記憶が薄くなった時再会するところまで消えていった。観覧車の中には、鯉がいて、満足げな顔で死んでいっている。水は、しめしめと形を帯びて電球を覆う。水の中の風、鼓膜を覆う海藻。ばっと息が苦しくなって身体を動かす。息切れとこめかみの脈の拍が心地よく、その間に鯨は幾つものの悩みを解消していた。「ああ、汗か湯かわからんな。」と呟く。重たかった足は、綿菓子みたいに軽く、今の器を超える。溺れていたことなど、届かず、目は真っ白い壁を見つめている。限りなく広い壁に見えながら、身体の最も小さな中心から世界の最も大きな果てに向かって何も分けることなく一点を見つめ広げている。球体にでもなってしまいそうな感覚が、あの日見た狼に似ていて、うっとりとしながら内臓を全て吐き出してしまいそうな焦りを感じて、座り込む。水溜まりが身体に当たる冷たさ以上をゆっくり感じながら、子宮の中にいるような姿勢になる。浴室が身体のような感覚。浴室が空気や、周囲の生き物の感情を感じ、佇みながら微笑んでいるのがわかる。目をつぶっていながら、さらに目をつぶることができ、驚く。閉じるにつれ開いていく、名前をつけ1つ1つ分けることなどできない速さで、広がっていく。母音混じりのため息と一緒に汗も涎も涙も出て、おしっこもうんこも出た。身体の中のもう要らなくなった物が、かつて自分を支えるために必要だった感情とかが、全部出た。広がっていくたびに出ていく、圧縮されていくような、回転させられているような、今までの生活では感じたことのない悦びだった。それからは言葉にならない、どこを言い表そうかと抽象する隙がない、私はただ泳いでいるみたいだった、速すぎるからこの小さな小さな意識ではどうすることもできなくて、笑うしかなくて、形のないルールのエグさに泡を吹いて、その世界をただ感じて、溶け込むようにもくっきりするようにもしながら、ただ、空を見たり土を触ったりしていたのかもしれん感じで、死にました。良い人生でした。ヒトっていう肉体的には死んで、今は別の形で楽しくやっとります。

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