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そらまめ日記

腎癌を患いました。
自分の備忘録と、同じ病を患った方のなんらかの参考にでもなればと思い、一部始終を書き留めていきたいと思います。

プロローグ:
2019年の忘年会での他愛もない会話。やはり中年が集まるとどこかで病気自慢が始まる。その中で部下Yの結石で救急車を呼んだ話で盛り上がる。
激しい痛みの中、入り組んだ住宅地で迷った救急車。自ら救急車を呼びに行くうちに石が抜けて、たどり着いた時にはもういいや、となったらしい。面白おかしい話を聞きながら、やがて自分にもそんな事が起きるのかもと頭をよぎる。
思い返せばこれが全てのトリガーに。

救急搬送:
12/22、日曜夜のいつものルーティンで、お風呂に入って頭と髭を剃る。この年の最終週、連日の飲み会も予定されてるが、いつもどおり楽しく年を越したい、なんて考えながら風呂を上がろうとすると右の背中に重く鋭い痛み。過去に経験があるような無いような痛みだが、少し経っても痛みが引かない。
もしやこれはYの言っていた腎臓結石では無いかとググると、まさにビンゴの位置。意を決してカミさんに救急車を呼んでもらう。
人生初の救急車だが、マラソンランナーの意地で救急車まで歩いて乗り込む。ストレッチャーに寝ててもガッガツと揺れて乗り心地悪し。

救急病院(Day-1):
近所の大学病院がシステムダウンで受け入れていない(ホントかよ)との事で、隣の区の少し遠い病院へ。
当直医師に結石だと思うと伝えてレントゲンからのCT室へ。痛いのも痛いが、造影剤を入れられたからか、これから処置される結石除去が怖いからか、はたまた寒いのか。ガタガタ震えながら検査結果を待つ。
そして当直医師による所見は、、、「結石じゃないなぁ…ここが副腎なんだけど、このモヤモヤが何なのか、出血にも見えるけど、明日出勤する泌尿器科医に見てもらいましょう」取り敢えず入院となる。
その夜、1回目の痛み止めでは効かず、眠くなってもいいので強いものをとお願いし、なんとか眠りに落ちる。

救急病院(Day-2):
目が覚めると痛みはかなりひいている。孫正義似の泌尿器科の先生が登場。当直医と同じく右副腎のモヤモヤは出血に見えるがハッキリしないとの見解。MRIで調べる事になる。
MRIは膝の半月板、耳鳴りに続いて3回目。大きな音がするくらいで特に嫌なイメージは無かったが、今回はバンザイ姿勢がしんどいところから身動きが取れず、子供の頃に味わった閉所恐怖症を発症、たまらずストップボタンを押す。ちょうど終わり助かる。
この夜、病院食が始まる、、、予定だったが来ず、ナースコールでリクエスト。初の病院食、意外に食える。まぁ、どんな航空会社の機内食でも完食する自分だから、当たり前といえば当たり前。この夜点滴が外れる。

救急病院(Day-3 告知):
バイタルが安定しているからと、ナースステーションからは遠く、トイレには近い部屋へ移動。この日の日中は泌尿器科の先生が外出のため、夕方にMRIも含めた検査結果を伝えに来る。カミさんと共に画像を見る事が出来る小部屋へ通される。
画像を見ながら、まずは痛かった右副腎はMRIでもモヤモヤのまま。やはり副腎腫瘍の疑いで出血に見えると。
それより左腎臓に所見あり、これはほぼ癌だろうと。小さいので部分摘出できると思うが、この病院では手術出来ないので別の病院へ行く必要があるとのこと。
右副腎の件があったし、いずれにしても手術必要だろうと言われていたので、この時はあまりガーンという感じではなかった。この後、どの病院にするかの検索が始まる。
カミさんが帰った後、晩ご飯にチキンと苺のケーキ風ババロアが運ばれてきて、この日がクリスマスイブだという事に気づく。

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こんなクリスマスなんて寂し過ぎ、と思うと同時に、癌を告知された現実を思い出し、急に涙がこぼれてくる。
オレ、ホントに癌なんだ…。

救急病院(Day-4):
昔、腎癌で全摘した経験のある会社の先輩にメールし、どの病院だったか聞く。カミさんも義理の弟や友達などから情報収集。娘も大学の医学部の先輩に聞いてくれて、いくつかの候補を挙げてもらったりするが、やはり最後は自分がいかに腹落ちするかに限るというのが大方の意見。
会社の先輩が手術した病院がここの泌尿器科医の母校でもあるK病院だという事で、先生に紹介状を書いてもらうように伝える。
しかし、このあとネットで見つけたサイトで、ダントツの症例数を誇るT医科大病院にロックオン。
特にダビンチと呼ばれるロボット支援下での腹腔鏡手術症例数が他を圧倒しているし、最新機器が複数台入って手術待ち時間が短いし、保険も効くし、でネガティブポイントが見当たらず、T医科大病院に変更を決断。紹介状宛先の変更を先生に伝える。快諾。
夜、アメリカ人の同僚から心配してる旨のメッセージが入る。”I’m going to try whatever I can to get back my normal life like chatting with you guys.”
とリプライしながら2回目の涙がこぼれた。

救急病院(Day-5):
退院日。
カミさんがT医科大病院に電話して予約取ろうとするも1/7以降になるとのこと。翌日朝から並んで外来で行くしか無いと悟る。
退院手続き後、駅までの送迎バスを待つ間、コンビニで久しぶりのコーヒー。思ったほど感動なし。人生初の入院終了。
帰り道、タクシーに乗るという選択肢もあったが、体調的にはどこも悪くないので病院のマイクロバスで最寄り駅まで行き、そこからは電車で5日ぶりの我が家へ。
愛犬が普通に出迎えてくれる。海外出張でちょいちょい空けることが多いので、特に喜ぶわけでもなく。

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T医科大病院外来:
7:30の受付時間前に病院へ。
すでに大勢が並んでいて56番目の整理券をもらう。時間が来て順番に中へ。思ったよりもスムースに進み、泌尿器科の前にたどり着き、15分位で中に通される。
Webに載ってる8人のダビンチ使いの5番目にリストアップされているT先生。救急病院で撮った画像を見ながら、見解は同じく右副腎の出血と左腎臓に2〜3cmの悪性腫瘍でステージ1の腎癌を認めるとの事。1/17に再度CT他を撮って1/22に確認、手術は2/8で一旦確定。テキパキと決まっていく。かなり安心。
実家の母と姉に連絡。やはりかなりびっくりされたが、日本で一番の腎癌の権威である病院で、しかも殆ど1ヵ月で手術してもらえるという事で安心してもらう。まぁ、伝えるこちらが完全に安心しきっているのでそれが伝わったのだろうが。

年末年始:
痛みもないのでほぼ通常通りの生活。
ただ、救急病院で言われたお酒はやめとけ指示を守る。思い起こせば、成人してから初めてのノンアルコール年末年始。あれだけ連日たくさん飲んでいたのに、不思議と欲しくない。
長年の趣味であるランニングも復活できそうかもと思ったが、右腎の痛みの原因が未だハッキリしない(そもそも初日に鎮痛剤入れてもらっただけで、何の処方もしていない!)なかで、痛みがいつ発生するかは判らないので、犬の散歩程度にしておく。
年が明けて元旦の初詣ではもちろん神頼み。おみくじは大吉、病の項目では「軽し なおる」とある。幸先よし。

再検査:
1/17 再検査へ。
CT、レントゲン、採血、採尿、心電図、肺活量(売れない役者みたいな看護師が煽るのでワラける)、口腔外科(全身麻酔で気道確保の為に管を入れる時に口内炎や取れそうな虫歯などがあると肺炎になる可能性があるからとか)などの検査を受ける。
CTは、実は検査前3時間は食事制限があったのを見過ごしていたが、結果的にはギリギリ大丈夫。造影剤を入れる血管は、右腕のある特定の血管が心臓に近いから良いのだと看護師に言われ、なるほどと思う。
全てシステマチックに流れ作業で進み、ストレスはない。この日は問診もなく、そのまま帰宅。

診断結果:
1/22 再検査の診断結果。
その前にまず麻酔科の診断で過去の麻酔経験やリスクの説明を受ける。昔から麻酔の効きやすい体質だと思っているので、特に気にもならず。
そしてT先生からの診断結果の説明へ。右副腎は相変わらずモヤモヤのままなのでこのまま経過観察とし、左腎は予定通り癌の切除手術を2/8に実施する事となる。詳細の説明へ。
T1aN0M0(癌が腎臓内にとどまっていて4cm以下、リンパ節転移なし、他臓器転移なし)の疑いとの結論。切除が最も効果的である事(腎癌は放射線や抗がん剤は殆ど効かないのだそう)、開けてみた時に静脈への浸潤などがみられたら全摘に変更する可能性がある事、、、などの説明があり、順調にいけば3時間程度の手術で3日後には退院できるとの事。
ちなみに手術までは極めて普通の生活でよく、お酒もオッケー。ただ、当日風邪引くとリスケになるので、風邪だけには十分注意する様にと念を押される。以降、満員電車での風邪罹患が怖いので、よっぽどの事がない限りテレワークで過ごす。
この頃、新型コロナウィルスも流行り始め、この風邪予防に一番気を遣った。

手術前日:
2/7 予定通り入院。
8人部屋を覚悟したが4人部屋。入口付近で景色は悪いが、洗面台がついているのでまぁいいかと。
一通り持ってきた服や洗面道具などをロッカーやサイドボードにしまって落ち着いた頃、口腔外科から口内クリーニングに来る様に連絡あり、外来棟に向かう。いわゆる一般的な歯垢落としで、やたらと丁寧にやってくれる。ただ、うがい用の水が生臭くて閉口。多分東京の水道水だ。
戻ると昼食が来て、救急病院より少しゴージャス、かつ味が濃いのに驚く。いつも通り完食。
退院していった隣の人が、テレビカード余ったからどうぞと譲ってくれたらしく、見ると800/1000くらい残っている。払い戻し効いたはずなのに、ありがたく頂戴する。
薬剤師、麻酔科の先生などが交互にやってきて説明していく。ちょっと薄暗い寒々しいシャワールームでシャワーを浴び、相変わらず濃いめの味付けの夕食を取る。21時に下剤を飲んで就寝。
救急病院の時もそうだが、なぜか病院での寝つきがすこぶる良い。温度/湿度が調整されているのと、パラマウントの電動ベッドだからか。真剣に自宅で欲しくなる。

手術当日(前編):
手術当日の朝。
6時までが水を飲んで良いタイムリミットだったが、セットしていたアラームが平日設定だった為に鳴らず、6時の館内放送で目覚めて慌てて飲む。
お腹は扇動しているが、なかなかもよおさない。看護師が来て、7時過ぎても出なければ座薬にしましょうと言われる。7:20に観念して座薬を入れてもらい、15分後に排泄、一安心。
8時、カミさん到着。手術着に着替え、弾性ストッキング(エコノミー症候群予防なのだそう)を履き、記念撮影。8:20手術室に向かう。カミさんはエレベーターホールまで。グータッチくらいしてくれるかと思ったら、ハグしてきた。これまで極めて冷静で、いろんな準備をテキパキこなしてきてくれてたけど、やっぱりカミさんも不安なんだと改めて思う。感謝しかない。
手術準備室?に入り、今日の担当の人たちが次々にやってきて挨拶してくれる。が、T先生は現れない。思わず、執刀医はT先生じゃないの?って聞いてしまう。大丈夫、T先生ですよと言われて安心。11番手術室ですと言われ部屋に入る。結構広い。右奥にwebで見たダビンチ君が鎮座してる。手術看護師が、あれがロボットですよと教えてくれる。インスタ載せる写真撮りたいですよねと軽口を叩く。
手術台に横たわり、色々な装置が取り付けられていく。今日は何の手術ですかと聞かれ、「左腎臓の癌をロボット支援下腹腔鏡手術にて切除してもらいます!」と元気よく話すと笑いながらよくできましたと言われる。
まずは点滴から眠くなる薬が入れられ、次にマスクで高濃度酸素が吸入される。だんだんぼーっとしてきますよと言われ、そうですねと言った直後くらいから意識なくなる。

手術当日(後編):
・・・さーん、終わりましたよー。の声で目が覚める。が、、、息ができない。誤嚥した時の息吸っても入ってこない感じ。ゆっくり深呼吸してくださーい、と言われて次から呼吸できるようになるが、若干パニック気味。今思えば、目覚めた脳と呼吸する肺への指令でタイムラグがあったのかも。息が出来なかった恐怖感もあって、酸素マスクが苦しいと伝え、手術室の中ではずらしてくれる。
程なくして病室へ移動、今度は同じ部屋の窓際に変わった事が伝えられる。病室のベッドに移された際、背もたれを上げて欲しいと頼むが、ほんの5cm程度。今日はここまでで我慢してとの事。カミさんも入ってきて、T先生から無事に成功したとの説明があったと聞かされる。
酸素マスクはあと3時間と言われるが、これが何だか息苦しい。何回か触っていると管が抜けて普通に空気吸っている事に気づく。この3時間が長い。
ようやくマスクが外れると今度は尿カテーテルの違和感がハンパない。尿漏れしながら延々と排尿を我慢している感じ。そのうち同じ体勢で腰が痛くなるも限られた姿勢でしか寝返り打てず、悶々としながらカミさんに愚痴を言い続ける。
夕方、カミさんが帰った後、少し眠れて尿道の違和感が少し和らぐ。ただ、どう考えても夜は眠れそうにないので誘眠剤を22時に入れてもらうように頼む。気がつくと夜、暗くなっているが何時かわからない。誘眠剤が入ったのかもわからないとまた悶々としていると看護師が現れる。22時に来たが寝ていたのでそのままだったとの事で、まだ0時だと言うので入れてもらう。
長い1日だ。

手術翌日:
4時くらいに目が覚める。
もう少し寝たいが、なかなか寝付けない。とにかく右半身を下にする姿勢と真上を向く姿勢の寝返りを繰り返して時間が過ぎるのを待つ。絶対安静の時には寝返りすらダメな場合もあると聞くが、ちょっと想像つかない。
6時、館内放送が流れて程なく看護師がやってきて、ベットの背もたれを起こしてくれる。助かった感ハンパない。口を濯いで水を二口、美味い。歩く練習は10時くらいだと言うが待ちきれない。
10時、かなり慎重に起き上がらせられ、立ち上がる。まずはエレベーターホールまで行きましょうと言われるが、マラソンランナーの意地が出て、いや、トイレまで行きましょうと歩き始める。若干ふらつくが、問題なくトイレまで歩く。これで尿カテーテルをとってもらえる。
痛そうですよね?と看護師に聞くと、皆さん「オウっ」て言われますと言う。ちょっと深津絵里似の若い看護師さんだが、恥ずかしげもなく股間を曝け出して抜いてもらう。大きく息を吸ってー、吐いてる間に抜きますので力抜いてー、、、「オウっ」と声が出てワラける。
続いて弾性ストッキングと下肢マッサージ器を外してもらう。下腿マッサージ器は、リンパ腺の老廃物を流してくれる感じで随分と助けられた感があるが、やはり外してもらうと開放感はマックスへ。
程なく昼食が運ばれてくる。予定では全がゆのはずが蓋を開けると普通食。ナースコールで確認するが、食べれるなら食べてと言われ、ありがたく頂戴する。もちろん完食。
尿カテーテルが取れてからは、尿量を報告する紙が渡され、排尿のたびにトイレに据え付けのメモリのついた紙コップで計量する。最初は赤いのがちょろっと、しかも尿道にツーンと痛みが走る。
水分をたくさん摂取するように言われて2〜3回目から尿量も増える。最後は500ccの紙コップに入りきらないくらい。お祭りの時の屋台で買うような生ビールを思い出す。
夕方にカミさん到着。夕食の頃、病室の窓からでっかい満月が見える。まるで復活を祝福してくれてるかのように。

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この夜は熟睡。

手術翌々日:
目が覚めても爽やか。
朝一の採血。傷の痛みはあるが、フルマラソンをがっつり走った後とあまり変わらない痛み。左下腹部に麻酔が効いたままのような痺れる部分があるが、当面は残るとの事。
昼前に口腔外科に術後のチェックで呼ばれる。久々に外来棟に行く(≒シャバに出る)のでヒゲを剃る。口腔外科は一通り見て異常が無いので、また歯磨きしてくれる。なんて丁寧。(後日談: この2回分で¥6,000以上も取られてた。なんとなく納得)
部屋に戻ると退院後の食生活についての説明があり、塩分と糖分の摂り過ぎに注意するようにとアドバイス。その割に、昼は麻婆豆腐、夜にはジョアと、ここの病院食は大丈夫か?

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午後一で点滴も取れ、3時のおやつには自販機のコーヒーを楽しみ、夕方にはシャワーも浴びれてスッキリ。
ただ、傷口付近のお腹の膨らみがハンパない。ガスが溜まっている膨満感。但しシャワー浴びても傷がしみるような事は無い。

退院日:
若くてイケメンの泌尿器科医師(見習い?)が2名やって来て、容体の最終確認と次回外来の予定を3週間後の3/4と伝えに来る。
結局、今回の入院で、意識のある時にT先生に会うことは無かった。普通はフラッとやってきてどうですかと聞かれるものだと思っていた(過去、同部屋の人たちがそんな感じだった)ので、ちょっと拍子抜け。まぁ、それなりの人気だろうし、それだけ術後経過が順調なのだろうと割り切る。
この日は祝日で会計も閉まっているので、支払いもなくアッサリと退院。ちなみにもらったTVカードは最後でピッタリ使い切る計画性。
久しぶりのシャバ、駅までは慎重に歩くが、乗換駅の構内では普通に歩く。そんな早歩きで大丈夫?とカミさんに心配されるが、ここでもマラソンランナーの意地。

退院後の日々:
退院ガイダンスで、次回外来まではお酒は控えるようにとの事。まぁ、すでに1ヶ月の禁酒を経験しているので、特に欲しくも無い。そのせいか体重は殆ど変化なし。
世の中新型コロナで大騒ぎでもあるので、テレワークを続ける。上司には手術完了をメールで報告、無理ないように、まずは体力の回復に努めるようにとのコメントをもらう。
退院2日目。半日だけ、マンションの計画停電でネットワークが使えない事もあったので出社してみる。みんな寄ってきて、こんなすぐに会社出てきて大丈夫かと聞かれる。腹筋1,000回くらいやったあとみたいと答えるが、筋繊維の断裂という意味ではあながち間違いではないと思う。
退院後5日目、処方された痛み止めが残り少なくなってきたので、いざという時のために取っておきたいと思い、服用をやめてみる。痛みが増えるわけではないが、翌日(術後9日目)から心拍数が高めになる。動悸がする感じで少し気持ち悪い。
当初、術後の痛みはフルマラソンがっつり走った後に似ていると書いたが、さすがにこの日数を経過しても続く痛みはマラソン後とは違う感触になってきた。まぁ、気長に待つしかない。
退院2週間目、5つの刺し傷のうち、一番へそに近い傷から浸出液。術後3週間目にシャワーでその傷のボンドが取れるが、傷口の中は白く、周りが赤い。浸出液があるので電話で病院に確認。市販のカットバン(お姉さん、地方出身だね!)貼っとけ、と。2/29キズパワーパッド貼るが、3/2になっても傷口が開いたまま閉じない。左下腹部の疼痛が強いためか、傷口の痛みは感じない。

術後初外来:
3/4 術後の初外来。
入院時の看護師のアドバイスに従い、混み合うからと予定の時刻の1時間前に到着。書類受付に向かう。全然空いててすぐに手続き開始、医療保険給付の為の診断書記載を依頼。これで¥6,000、しかも書類は2ヶ月もかかるという。
次、検尿と採血。ここもいつも通りシステマティックでスムース。15分ほどで終了。
T先生のアポ時間まで1.5時間もあるので、入院病棟の会計に向かい、手術・入院費を支払う。合計で¥190,000弱。
いよいよT先生の診察。まず傷口を診てもらい、パックリ開いたままの傷口に、あ、こりゃ処置必要ですね、この後ケアルームでやらせましょう、ということになる。
その後、病理検査結果の説明。やはり悪性腫瘍で、正式には淡明細胞型腎細胞癌。核異型度(悪性度:顔つきと説明)はG1>G2で1-4の内の良い方との事。その他血液検査からも異常値はなく、術前と同等の数値との事。白血球数5.20、CRP定量0.14、クレアチニン0.94という項目に丸つけて、これらを見ても正常値ですと説明された。
ただ、事前にネットで調べた結果と同様、腎癌は3年以内に主に肺への転移の確率が高いので、まずは3ヶ月、結果次第で半年毎にCTで検査すると説明がある。仕事の関係で、海外駐在の可能性がある事を話すと、半年に一度帰ってこれるなら問題なく、実際にそういう人がいるらしい。しかし、右副腎の様子がまだまだ不明なので、これは同じく検査で経過観察となる。
その他、食べ物やお酒、運動については、そもそもの数値が悪いわけではないので普通で良いですとのお許しがでた(ヤター)。
説明を聞き終え、次回の検査日程を決めてT先生の診察は完了し、ケアルームへ。ベッドに横たわり、若い先生に傷口を寄せるテープを貼ってもらう。こちらは2週間後にチェックする事とし、この日の診察は完了。会計して病院を後にする。
傷が治ればお酒も飲めそう。

傷跡チェック
術後1.5ヶ月。ようやく傷口も塞がる。5つの刺し傷のうち4つからテグス(釣り糸)のような透明な糸が2〜3mmくらい出てきている。
ネットで見ると、縫合の時に使う溶ける糸が、皮膚の拒絶反応で出てくる事があるらしい。記事によっては引っこ抜くこともあるらしく、痛そうだなと思いながら外来へ向かう。
当日。外来の受付は新型コロナ対策で物々しい。入口と出口で動線を分けられ、一人一人顔を見られ、元気なさそうな人は呼び止められる。奥にはサーモカメラとモニタ。赤く表示されないかちょっとドキドキするが、呼び止められることもなく無事通過。いつも通りキオスク端末でチェックインして泌尿器科へ、程なく処置室に通される。
元気のいい女医さん。傷口を見て「あーもう大丈夫ですねー、糸だけ切っときましょうねー」とあっさり切ることに。ただ、ちょっと引っ張るので痛いは痛い。わずかだが出血したので絆創膏を貼ることに。ここで包装紙を見ると「カットバン」電話で説明してくれたお姉さんは地方出身者ではなく、この病院の標準語だった事が判明。。。
帰宅後、1.5ヶ月振りに湯船のお風呂。やっぱり日本人は肩までお湯に浸かんないとなー。風呂上りのプシュ。ウマし!

・・・ここで一旦、この日記は中締めとしたいと思います。これ以降は、たるんだお腹を引き締めるべくトレーニングを再開しつつ、定期的な検診で経過を観察して行きたいと思います。気が向いたら、ほかのテーマで記事を書く事があるかもしれません。

ここまで読み進めていただき、ありがとうございました!!


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