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1人の時間が増えた結果、ポジティブになれた話。

思い返してみれば、私はコロナウイルスが流行するまで、1人の時間がほぼなかった。学校が終われば制服のままの友人達と自宅で18:30まで遊んでいたし、休日にもなれば朝の9:00〜18:30までずーっと友人達と一緒だった。溜まり場と化した我が家で何をして遊ぶかと言えば、格ゲーをしたりトランプをしたり。楽しい時間ではあるが毎日となると無駄とも言えてしまう時間をただただ消費していた。

この生活が小学校2年生の頃からずっと続いていた。
思い返してみれば、その頃の私は病院だったり買い物だったり、家族との外出でさえ躊躇い、友人を優先した生活を送っていた。当時はなんの違和感もなかった、7年以上続いていた生活だ、違和感など持つはずもない。

しかし今年の三月頃、私の家は溜まり場ではなくなった。コロナウイルス流行により、私の家は親族以外出入り禁止となった。最初の一ヶ月は仕方なく外で遊んでいたりもしたが、全員外遊びなどするタイプではなかったし、かなりつらい期間だった。その結果、次第に外で一緒に遊ぶ機会は減っていき、通話をしながらオンラインゲームをするようになった。しかし、このゲームもで長く遊べるようなものではなく、すぐに全員飽きてしまい友人と接する機会はかなり減っていった。
現在では週に一回のジャンプの回し読みと、数時間の通話だけが友人達との交流となった。つまり、当時と比べると私1人の時間は格段に増えた。

すると、当たり前ではあるが私の生活は変わっていった。今まで友人がいるからと遊べていなかった1人プレイのゲームを遊んだり、海外の長〜い映画やドラマを見たり、今まで手をだせていなかったジャンルに手を出してみたり。興味のあるコンテンツも増え、毎日の楽しみや生きがいが増えていった。

もしコロナウイルスがなければ、私は今でも違和感を感じることなく毎日友人達と無駄とも言える時間を消費し続けていただろう。あの大好きなゲームやロックバンド、面白かった映画や小説などを知ることも無く、全然違う私になっていたのだろう。

こんな言い方をしたら誤解を生むかもしれないがコロナウイルスに感謝している。今まで知ることのなかった世界や価値観を知り、私が人間として一歩前へ進めたのは、奇しくもコロナウイルスのおかげだったのだ。

そのような事を考えていると、私は今の私になれて良かったと心から思う。もし別の私になっていたと思うと、心臓を雑巾のように絞られたような苦しい気持ちになる。

1人の時間が増えることで、結果的に私は自分が大好きだと気づけたし、自分の過去の失敗も、私の人格を作る大切な経験と考えられるようになった。自分のことが嫌いなあなたも、もし自分じゃない自分になっていたら...と想像してみて欲しい。今あなたが愛しているものに一切出会うことなく過ごしているあなたを。


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