人類VS利害関係

人は正しいか間違っているかではなく利害関係で動く、という話をしました。

とはいえ、利害関係をできるだけ排除し、できるだけ正しい判断をしようと昔から人々は工夫を凝らしていたことも事実です。

その工夫について三つほど思い浮かんだので記載しておこうと思います。

完璧超人による独裁

独裁に限らなくてもいいのですが、要するにできるだけ間違わない人が代表して意思決定をすればいいのではないかというアイデアですね。

独裁というとヒト〇ーを思い浮かべますが、有能な人による独裁で正しい行いをしようとする試みは昔から行われてきました。

古くはプラトンの考案した鉄人政治から始まり、現代でも多くの国が独裁をしいています。

独裁がいいか悪いかはさておき、個人の資質に頼り切った体制であることから二つほど問題点があります。

一つは後継者の問題です。

仮に聖人君主が完ぺきな政治を行ったとして、人の一生は長くありません。仮に次代が聖人君主である確率を50%としましょう。10代先までずっと聖人君主である確率は0.09%となり、持続性に問題があることが分かります。

二つ目としてガス抜きができないということがあげられます。

人は間違います。

聖人君主であるとしてもそれは変わりません。

絶対に間違わない人間を想定すること自体があまりに非現実的で思考実験としてもあまりにお粗末です。

では間違った後にどうするか?

次に生かす? それもいいでしょう。しかしその前にやることがあります。

誰のせいにするか、ということです。

独裁では独裁者が悪いということになりますが、選挙で落とすということができません。

不満はたまり、空気が悪くなる。

民主制であれば次の選挙で落とせばいいわけですが、独裁ではそうもいきません。

行きつく先は言論統制しかなくなります。

また、この手の思想は優生思想に染まりやすいというのも問題かもしれません。

宗教

一番わかりやすい例として宗教を上げましたが、それ以外の形態も無数にあるでしょう。ただ一番わかりやすいのが宗教だと思います。

これは要するに利害関係以外の尺度を持ち込むことで、利害関係での間違いをいかに修正するかということです。

たとえば友達を裏切れば大金が手に入るという局面で、利害関係からいうと裏切るという選択をする人がほとんど。

しかし信仰心の厚い人が「神様が見ている」と意識すれば裏切らないでしょう。

正しい、間違っている、という概念自体、おそらく宗教からきているのではないでしょうか。

とはいえ宗教では「信号を守る」くらいの役には立っても、「今後日本はどういう政策をすればいいのか」といった答えがない問題には答えられませんし、無理矢理こたえようとするといわば教祖の独裁のような形になってしまいます。

システム化

利害関係を排して正しい判断をする仕組みづくりをする、というアイデアです。

これは要するにいかに利害関係を排するかということです。

教科書でだれもが習うようなことでいうなら、三権分立や資本主義などが例として挙げられると思います。

前の二つが完ぺきな答えとなりえないことが歴史からわかった中でここ五十年くらい人々が工夫する舞台はここだったのだろうと思います。

いくつもの面白いアイデアが日々考えだされては使われていますが、今のところ完璧なシステムといえるようなものは影も形もありません。

三権分立も、資本主義も、民主主義も、他に比べれば多少まし、という程度なことは皆さんご存知だと思います。

個人的にはブロックチェーンのコンセンサスアルゴリズムやAIで何かブレイクスルーが生まれそうな気はしますが、まだまだ道は遠そうです。

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